藤山さん、よく読んで。
公権力行使公務員にはプライバシーはなく、その業務執行のありかたには、市民からの厳しい批判にさらされる必要がある。
それは舛添氏も同じであるし、山尾民進党政務調査会長(元検事)も同じである。神戸の野々村議員もあそこまで批判されるかは疑問であるが「公権力行使公務員」であるから、批判はやむを得ないのだ。嫌ならやめるしかない。
中身をいえば、私的流用疑惑ということになるのだろうが、公権力の行使公務員に対する有り方は、一般的な行政官吏にも及ぶ。村木厚子女史などその典型例ではないだろうか。彼女が逮捕されたのも職務執行のありかたの相当性をとわれたのだ。(結果的に相当であったことはいうまでもない。)また、裁判官も国家賠償責任は全く負わないわけではない。
ご本人自身著作を出され、かつ、発達障害の団体などもやっておられ、広く社会貢献にも関与されている。大変立派であると思うが、彼女は逮捕・勾留という失敗がバネになっているように思う。稲盛和夫京セラ名誉会長は、ある国をさして、覇権主義的発想は一度敗戦を経験しないと直らないと仰られていた。当該人物も、稲盛氏の指摘を重く受け止めるべきであろう。本質的無責任には、言論による思想の自由市場における議論が最も厳しい責任追及になる。
公権力行使公務員の立論やそのありかたに対する批判が、誹謗中傷に該当するという人間がいる。そして、判決でも、「控訴は理由はないので、その理由は原審を引用する。なお、控訴理由は誹謗中傷である。」というのは、社会的相当性を欠いていることは明らかである。なぜなら、釈明義務違反や法的観点指摘義務は十分控訴理由になり得るからである。今後、裁判官の訴訟指揮などに不当性を控訴理由とする控訴が躊躇されることも出てくるのではないか。独裁者といわれないように注意してほしい。まさに稲盛爺の指摘が妥当している。(例えば、藤田広美「民事訴訟法」163ページには、裁判所は不親切な裁判所との非難を受けるおそれがあります、とあるように、裁判所が非難を受けるおそれなど民事訴訟法の学書の至るところに記述があることを厳しく指摘しておきたい。)
また,当該人は誹謗中傷の定義を知らないのではないか。誹謗中傷というのはいずれにしても「根拠がないこと」が前提となっているので、具体的根拠を引用しながらの指摘を誹謗中傷というのは、定義の誤りである。単に自分がむかつくことを誹謗中傷とはいわない。公正論評の立場を受ける人間はそれを甘受すべき義務がある。
裁判官でも、岡口裁判官のように言論をする人間がいるわけであるし、裏口から何か小沢政治のようなことをするべきではないような気がする。対抗言論で、お応えなされたらいかがか。フルトベングラーの指揮は美しいが誰に敬愛され寵愛されてきたかも思い返す必要がある。彼はその点について多くを語らなった。
名古屋市で有名な宮地さんが逮捕・勾留されてしまった。宮地さんといえば、有名なテレビキャスター・パーソナリティで容疑の内容も足を蹴ったものと産経ニュースは報道している。現在は、ニュースキャスターですら、第四公権力として監視の対象とされている時代だ。筑紫哲也さんが自身の年金未納が発覚し、責任をとって数日出演を見合わせたのも、公権力を批判するには、自分にはその資格が必要と考えたからであろう。
ましては、ストレートに公権力を行使する人間に多角的論点から、司法の適正を願い、例えば冤罪の防止や法律による行政からの逸脱など譲らぬ構えを守るには、柔軟な思考と大切さも必要であると重ねて訴えたいと主張した。これは互いにとって重要なことだろうが、彼にとっては、これもまた「司法の障害」になるのだろうか。朝日新聞の2003年1月27日を読み返してみると、いつか来た道のようでならない。