共謀罪の成立と詰め切れない感覚
共謀罪が成立した。
もっとも、弁護士をしている自分でもいったい処罰の外延がどこまで広がるのかわからない。
すこしミスリードもあるが朝日新聞で高山佳奈子教授が共謀共同正犯と併せ技をするとさらに外延が広がるかも、ともいう。
整理すると処罰される行為は277の行為なのらしいが、中には著作権法違反も含まれるとのことらしい。
料理でも「仕込み」をするように、行為が「準備行為」と回顧的に位置づけられることはいつでもあり得るだろう。
共謀罪は、犯意を処罰するものなので、10年懲役のものは5年、その他は2年になるとのことなそうである。
国民もテロリスト、暴力団など組織的犯罪集団のみにあてはめられるもの、と本気で思っている人は少ないだろう。
すでに環境団体などによる抗議活動は、共謀罪の準備行為に該当すると考えてよさそうである。
共謀罪は英米法が母法であり、日本の刑法は大陸法が母法である。大陸法に英米法をのせるのであるから、運用も相当混乱するのではないか、と思われる。
産経、朝日、中日は日本の刑法が実行主義をとったにもかかわらず、共謀罪で主観主義刑法となる転換点を迎えたということになる、と書いた。
みな一大転換点だという認識では一致している。
法務大臣も主観の認定が必要、と答弁されることから、今後は、自白強要、黙秘権の貫徹、間接事実から「勝手」に分析される意思といった点が問題になるだろう。
このコラムで指摘しているように朝日新聞では元判事の木谷昭氏が令状審査など、むしろ刑訴法のアプローチから裁判所の役割が大きくなる、というがあまり期待はできないだろう。
たしかに、テロは未然に防ぐというニーズが出てきたのであって、一般市民刑法における原理があてはまらない場面があることは否定できないところである。予防は処罰の早期化が必要であるが、果たしてテロリズムが少ない日本で、「テロ等準備罪」のはじめての立件は何であろうか。少年たちの集団万引きで共謀段階から離脱した少年が捕まったときなどが観念されるが、テロの準備には程遠い。海外におぼれることなく熟成した国家に即した法整備をするべきで、結局、政権に批判するデモも「組織犯罪」になる可能性が高いであろう。
昔、息苦しさを感じたとき「他人に迷惑をかけなければすべて自由」というミルの危害原理に励まされたものだが、結局、「忖度」「空気」が支配し、それを守れない人は「準備行為」をでっちあげられて、逮捕される、といったところではないだろうか。準備行為なんて、一例を挙げればハサミを買うだけでも準備行為なのだから。後は長期の勾留で自白を強要しておしまい、といったところではないだろうか。今後は、1億総前科社会と考えて黙秘権を授業で教えて、違法な捜査、忖度捜査に対抗する知恵も、教養として必要になる世の中になってしまうのだろう。もっとリベラルにやれないものだろうか。