旧姓の公務員の使用拡大するなら法律を改正せよ

国家公務員が仕事をする際、結婚前の旧姓を使うことを原則として認める。各府省庁がそのような申し合わせをした。

 

昨今の最高裁判決では、近時では、旧姓使用の拡大という社会的実態が「合憲」の根拠とされたことから、いわばアリバイ作りのための申し合わせにすぎない。深刻なのは、対外的な裁判所等の公権力行使公務員でも、一例を挙げると裁判官が判決などを旧姓で言い渡せるようになる。

 

特に裁判官の世界は、世界が独特であるから、仕事とプライベートを分けるため、という人間の尊厳とあまり関係ない切実さのない論拠により、公権力行使公務員が影に隠れて行ってしまう方がおそろしい。例えば、安倍首相の安倍も、実は旧姓でした、といったら、やはり国民的支持も得られないうえ、立法もないのになぜ虚偽の署名を用いることができるのか、とても疑問だ。

 

最高裁によれば、公権力を執行中の公務員にプライバシーは認められないという。ならば、併記は認められても本名を隠匿して、というのは、反対意見などを述べた女性判事たちの想いとも違うのではないか。

 

問題があれば、少なくとも責問はできる、そのために正式な氏名をも明らかにするルールをしなければ、ますます公権力等行使公務員は怪しい存在になっていってしまう、そういう見方もできるだろう。そのために法律上、旧姓を通称名を使用するのであれば登録制とするなどルールが必要である。女性の活躍と公権力の適正な行使は別である。通称名を使用する公権力公務員などいつでも名前を気の乗ったときに帰られるのだから「名無しの権化」と一緒ではないのか。

 

民間と国家では適用されるルールが違う。私たち市民社会において旧姓使用を認めていたところで、国家が認めることとは全く意味が異なるはずだ。その論理が公権力等行使公務員ではなかったか。ドイツでも旧姓の使用はマストというわけではなく、夫婦中心主義の国では、原則は同じ氏になるのが論理的な帰結である。結婚の結果、不本意な改姓(朝日新聞9月16日社説)と考えている人はどれくらいいるだろうか。また、学者と公権力公務員では、国民の権利を制限したり義務を形成したりする点で決定的に異なり「誇りを見失ってしまったりする人」(同朝日新聞)など、情緒的でセンチメンタリックな議論は避けてほしい。

 

もっとも、民間においては、その拡充は国民の権利義務の制限とは関係ないのであるから拡大していってほしいと考える。

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