後輩弁護士のはじめての国選弁護経験談を読んで
たまたま,後輩弁護士のひとりが書いた国選弁護人の体験談を読みました。
これは信頼関係に基づく民事委任契約がある私選弁護人に関する記事ではありません。
ご了承下さい。
彼女の体験談はお世辞にも成功ともいえないもので,それを今後に活かすと結ばれ正直な印象で好感を持ちました。
事案は,国選としては比較的多い財産犯で,執行猶予中,被害額も少ないというもののようです。
国選弁護というのは難しいものです。
というのも,根底に必ずしも信頼関係があるわけではないことが前提とされているように思うからです。
同期が,被疑者とケンカのような状態となりましたが,ある意味「被疑者が悪いのですから」ということで辞任を裁判所は認めませんでした。
そういう砂上の楼閣のような信頼関係で熱心に活動されるというのは,本当に素晴らしいことです。
しかし,残念ながらそういう熱意を悪用するということもあります。
彼女は,家財の売却や携帯電話の受け渡しを引き受けたようです。
そこから弁償金を捻出しようとしたようです。
しかし,国選で向かい合う被疑者というのは,大変な方もいらっしゃるわけです。
なんと家財の売却で得た金銭は全部自分のものにしたいといわれて困った,というようなことが書かれています。
それがあながち非常識だ!といえないのが国選事件の哀愁というものでしょうか。
彼女は「伝わらない思い」というようなタイトルをつけています。
彼女は再度の執行猶予が夢ではないといっていますが,私が事案をみる限り読みが浅く実刑になる可能性の方が高い案件のように思いました。
ひとつ,忘れていることがあるのではないかと。
他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来,ということです。
その後の彼女はというと携帯電話の行方をめぐって,被告人となったその方とトラブルが起きたようです。
国選弁護人制度は,訴訟費用負担の裁判がなされれば被告人が経済的負担をすることになりますが,国から選ばれた弁護人ですし,国が費用負担することがめずらしくありません。
公益的な立場より活動している,ということは忘れるべきではないと思います。
平静になすべきことをなすべきことが社会貢献につながるとの使命感が大事なのではないでしょうか。
一般のサービスはリッツカールトンに代表されるようにオーダーメイドなサービスほど感動されるし感謝されます。
民事の法的サービスはそういう面が強いと思います。
彼女は「ありがとう」といわれる弁護人を目指したいといっておられます。
一見,悪くないように思いますが,承認欲求が強すぎて国選弁護人の職責を越えたことをした結果,トラブルが起きた,ということを忘れているのではないかな,と思います。
プロフェッションは承認欲求だけで仕事をしてはいけません。
ところで,民事案件の依頼者の方は,「ほめてやらねば,人は動かじ」ということを心得ておられる方がおられます。
レストランでもお客様はよく御礼をいっている姿をみます。
それだけに,民事の案件において信頼関係をもって案件処理にあたらせていただけるご縁をいただくときはいつも幸いに思います。