民事裁判利用しやすくするためには?
6月30日付日経新聞の34面には、「法曹誤算~法科大学院色あせる理念」という記事と並んで、「民事裁判、利用しやすく。手数料の減額を。民間懇談会が中間報告書」という記事です。
いずれも、国民のみなさんが司法にアクセスしやすくするための「手段」についての記事だと整理することができます。
しかし、私が違和感を抱くのは、国民のみなさんが司法にアクセスするために本質的なのは、むしろ手数料の減額など現在の民事裁判制度にあるのではないか、と思います。朝日新聞、日経新聞は、国民のみなさんが司法アクセスできないのは弁護士が少ないからだと思い込んでいますが、現実には、記事の中間報告書が指摘しているような事情で遠のいているというのは弁護士としての実感にもあいます。
具体的には弁護士費用、裁判所への収入印紙代、訴訟進行に時間がかかる、勝訴しても強制執行して回収できるか分からない-といった具合です。少なくとも名古屋で弁護士の数が少ないので弁護士が代理につかないというケースは想定することができないと思います。
私見は、弁護士保険制度の普及が必要なのではないかと思います。交通事故においては、弁護士特約がついているケースが多くなってきており、実質的に採算割れのような経済的合理性がない案件でも社会正義というものが実現されているのではないか、法の支配が及ぶようになっているのではないか、と思います。
また、収入印紙についても1億円であれば32万円の印紙代がかかるといいますが、たしかに数千万円単位のものの場合、印紙代(=裁判所に納める費用)の負担も重くのしかかります。
個人的には、弁護士保険制度の充実、強制執行など回収見込みに応じた印紙代額の決定などが実践的ではないか、と思います。同紙はでは、民事訴訟にも労働訴訟のように付加金をつけるであるとか、短期間での司法判断の必要性-なども指摘されています。この点は労働法の分野では前者には付加金制度がありますし、後者にはおよそ3ヶ月で終了させることを目標にする労働審判制度があります。こうしたところの「良いところ」を採り入れたいという趣旨だと思います。
これに対して、「色あせる理念」というのですが、そもそも国民の利用しやすい司法という目的・理念を実現するのであれば、上記の報告書にあるような内容の実施こそが手段として適切ではないか、と思います。法科大学院は、実務と理論との架橋という理念があったと思いますがそれも国民の利用しやすい司法という関係では手段にすぎないことを忘れてはいけないと思います。
素朴に違和感を感じたのは、愛知学院法科大学院では、最前列に座った学生がひとりしかおらず、「マンツーマンの抗議は珍しい光景ではない」のだそうです。そうであるなら、法科大学院の教員と院生の関係で、これほど恵まれた環境はないのではないか、実務と理論との架橋という理念が達成できる環境で良かったですね、と考えるのが普通ではないかなと思います。
しかし、同紙は、大学院関係者の「2億円の赤字」というカネの問題、予備試験が本命と語る法学部生がいるという問題、ある院が成績が悪くて不合格だと多様性が失われるという問題をそれぞれ提起しています。これは、国民の司法へのアクセスの充実という目的との関係でどれくらい重要な話なのか首をかしげてしまうものです。
いち国民からすれば、愛知学院大学法科大学院が2億円の赤字を垂れ流していてもあまり関係のないことですし、若くて優秀な人材が法曹界に早く登場するようになれば法曹界が活気づきます。また、成績が悪い人が合格できなくて多様性が失われるという主張は世間の常識から「いいね!」という人はほとんどおられないだろうと思います。
本当に国民のことを考えた議論であるのであれば、裁判官が少ないのであれば弁護士会ADRの積極活用、費用の問題があれば印紙代の値下げ、弁護士保険の創設、日本司法支援センターの予算充実-が挙げられるのではないでしょうか。国民にとって法曹養成プロセスというのはあまり重要な関心事であるのか、素朴な疑問を覚えます。
「法曹誤算」というよりも、「大学院誤算」というタイトルの方が適切ではないか、と思います。