裁判官もガラパゴス?

今日、久しぶりに刑事事件の弁論に立ちました。

 

私は、比較法や他国の立法政策に通じており、処罰根拠が薄れてきている犯罪については、他国、具体的にはアメリカ法を紹介して弁論を行いました。

 

ところが、裁判官が、「それは証拠に基づかないから弁論できない」とストップがかかりました。

刑事訴訟法では、裁判所に顕著な事実、公知な事実というのは証拠はいりません。外国法令の存在も当然、裁判所に公知な事実というべきです。しかも、一種のポルティカル・イシューになっていて、新書などもよく発行されている分野でした。

 

私は、少し意外に思いまして、外国法令は裁判所に顕著と存じますが、と述べましたが、その裁判官は日本の刑法しか知らなかったようです。日本の刑法というのはせいぜい読むべき数は150条前後。

 

それだけで、刑事裁判官をやっていられるというのは、手を抜けて良いな、と感心しました。

 

裁判官の経験者弁護士から、「刑事裁判官ほどつまらない職業はない。なぜなら一審からもう控訴審をやっているのと同じだから。民事ほどのやりがいは感じないので民事裁判官を志望する者が多い」という話を聴きました。民事は、私も諸外国の立法動向をリサーチすることもあります。

 

しかし、比較的有名なイシューについて、公知でも顕著でもないというのであれば、その裁判所のレベルは著しく低いのだなと思います。やりがいがないのは分かりますが、そこまで手を抜くのはもはや裁判官として適切なのか分かりません。

 

法務大臣が、「法務大臣とは良いですね。二つ覚えときゃ良いんですから。 個別の事案についてはお答えを差し控えますと、これが良いんです。 わからなかったらこれを言う。で、後は法と証拠に基づいて適切にやっております。この二つなんです。」

 

といって、辞任されたことを思い出しました。

 

量刑を定めるには処罰根拠を詰めて考えることが重要であり、その際、私は学生時代は諸外国の判例も並べたものですが、裁判官が日本法しか知らないガラパゴス化をしてしまうと、顕著な事実や公知の事実も縮減していくのだろうかと思いました。書証は検察官は簡単に不同意にすることができますので、そうした場合はアメリカ大使館の領事を召喚して証人尋問をする必要まで生じてしまうのではないか、と思います。

 

日本の150条程度の条文を知っているだけで、法令に精通していると勘違いされてしまうと困りますし、日本法しか関係ないという裁判官のガラパゴス化は、スマートフォンでいわれた問題と同じ問題があります。裁判官は公費で海外留学にも行きます。修習中にお世話になった部総括もフランス司法に精通しておられました。公費での留学は公益を図るためにいくものですが、本日の裁判所の方がいかれても、ただの海外旅行になってしまわないか、納税者としては心配なところです。

あっせん・仲裁に関与している身からすれば、日本法しか振りかざせない仲裁人というのは、まず国際取引の仲裁人からは排除されたり孤立を招くように思います。

諸外国の多様な価値観を踏まえ立法にも造形が深いということが求められるように思います。

 

そうした点が国際司法においても、日本が国際競争力を持つ力の源泉になるのではないでしょうか。

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