冷暖自知。
先日、あるコンサルの主催で弁護士さんが、ベストアワードを受賞したということで、その方の講演を聴きに行きました。
東京での講演だったのですが、名古屋で午前中弁論をしたので、途中参加となり、お話しは後半だけうかがうことができました。
ところが、帰り際、タクシー乗り場で一緒になり、「ならばご一緒に」ということで、ご無理をいって、ワンバイワンでお話しをうかがわせていただくことができました。ご縁と申しますか、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
印象的であったのは、ベストアワードを獲るようになっても法律相談や調停には関与している、ということでした。そして、「私たちは、プレイング・マネージャー」といわれ、私も同感だと思いました。
経営者に徹しない理由としては、「勝負の勘が鈍るから」とお話しされましたが、これは私も大事にしていることです。
「冷暖自知」という言葉があります。
ヤカンが熱いということは頭で分かっていても、一回火傷して身を以て知らないと、ヤカンが熱いことは実感できない、という意味です。実践する中で、経験を重ねて体感することで、自分にとって正しい判断ができます。
根底には常識を感じながら、ときにそれにこだわらないで、自分独自の判断、ものごとを自分流に読み解く物差し、弁護士流ならば「勝負の勘」を持つことが大事です。
知識だけでは「物差し」を持つことはできません。
私が紛争解決センターの運営委員や民事系の委員会に顔を出しているのは、公益活動の面もありますし、勝負の勘を研ぎ澄ます参考のため、という意味もあります。
常識や法律がなくなったら、世は乱れるでしょうか。
常識や法律から自由になっても、道を誤らずに生きていくには、自分の物差しを持つことが大事です。
先に刑事裁判官がガラパゴスと指摘しましたが、自分の物差しがない刑事裁判官の説諭というのは、いつ聴いても響かないな、と感じています。「書を捨てよ、街へ出よ」というところでしょうか。
お話しいただいたことも参考にして、当事務所も今後ともさらに””精度”の高い物差しを求めて、運営して参ります。