100年を超えて蘇る田中正造の信念

こんにちは。

 

さて,今日は「空気」という観点からみていきたいと思います。

 

平成25年9月3日最高裁決定は,一審で放火罪で有罪とされ,控訴審で無罪となっていた事案につき,検察側の上告を棄却しました。このときの裁判員のインタビューがメディアに掲載されていましたが,「無罪になるのは僕も思っていました」という内容でした。この内容,無責任だと違和感をもたれる方は多いのではないでしょうか。

 

事実認定の適正化を図るというのも,裁判員制度の目的でしたが,この裁判員のAさんはどうして「無罪になるのは僕も思っていました」のであれば,評議で意見をすることはできなかったのかな,と思ってしまいます。「空気」が支配してしまったのかなと思います。

そういう点では,アメリカ法を継受した日本の刑事訴訟法の「無辜の不処罰」という理念が大幅に後退してしまっているな,という印象を受けます。

マスメディアの論調に不安を覚えますのは,国民が決められたことが覆されるのはおかしい,ということなのですが,本来的に有罪であったものが破棄されたのは正義に適うのかもしれませんが,本来的に無罪であったものが有罪とされていたことについて,裁判員裁判では,どういう反省がなされるのでしょう。こうした評議の内容は安易に秘密とせず,ラウドスピーカー(声が大きい人)に,サイレントマジョリティー(沈黙する多数派)が遠慮したということがないのか,検証して欲しいものです。

関係がないかもしれませんが,山本太郎参議院議員が天皇陛下に手紙を渡されたことについて,批判がなされていますが,これも「空気」に反したからじゃないかなと思っています。ヤフーの投票でも約8割が「支持しない」という回答をしているようですが,主に儀礼上のことを指摘されているように思います。

たしかにカナダの公的文書における英国連邦外(カナダは英国連邦ですので,エリザベス女王などは別格です。)の「外国権威序列」の中では,第一位が,「エンペラー・ヒズ・インペリアル・マジェスティ・アキヒト」,第二位がスペイン国王,第三位がスペイン女王,第四位がオーストリア・モナコ皇太子,第五位が各共和国大統領,第六位がアメリカ大統領,第7位が首相・・・とされています。カナダの公的文書をみても,書き出しが最も丁寧に記載するものとされており,それだけ礼をもって接しなければなりません,と文書にまでしているわけですね。

彼の行動の評価は,賛否両論ありますが,陛下に対する請願は日本国憲法で保障されており,請願法によれば天皇陛下に対する請願は内閣に行うものとされ,適切な請願の提出がなかった場合は,内部で請願書を送付するという行政手続ルールも定められています。天皇陛下は,国事行為をなされますし,内閣はあくまで「助言」と「承認」をするわけですから,陛下サイドからの積極的な提案が憲法上禁止されているわけではありません。だからこそ陛下に対する請願も認められているのだ,と思います。

 

私は,個人的には,陛下の園遊会という場で手紙を渡すという行為は,その場で伝えきれないことを毛筆にしたためたということで,感情的な観点からも,良いか悪いかの判断は難しいと思います。ただ,いえることは,何人も請願をしたことによって不利な扱いを受けてはならないということが請願権の本質をなしているということではないか,と思います。

 

請願をしたために,「空気」から批判されてしまうことをおそれて請願もできなくなってしまったら,民主主義のルールもますます形骸化してしまうのではないかと思います。

 

弱者の兵法というものがありますが,組織を背景に持たない人たちは,どうしても,一般的な方法ばかりでは,自分の意見を上申することができない,ということが起こります。田中正造の行動もそうでした。

私は,山本氏とはおそらく主張は異なると思いますが,あらためて請願権という権利の大事さ,というものを認識する機会となりました。

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