朝日新聞の「事実と正直に向き合いたい」
朝日新聞が、3つの誤報記事と1つの言論弾圧で揺れている。
朝日新聞は「慰安婦問題」で強制連行があったと盛んに報道し、国連報告にも影響を与え、我が国の国際社会における名誉ある地位をおとしめてきた。
ある韓国人議員によると、朝日新聞が執拗に「慰安婦問題」を報道して、その結果韓国のメディアに飛び火をしたものだ、と話している。
現在、日韓関係の懸案事項は、韓国からすれば「慰安婦問題」であるが、対する日本政府は既に「解決済み」の立場である。
しかし、強制連行があったということになれば、意思に反して「慰安婦」にさせられ「性奴隷」とまで誇張されるようになってしまった。
朝日新聞の今般の報道を見渡しても、自社報道が日韓関係を悪化させたという自覚症状がないから重症という外はない。
朝日新聞の木村社長は、韓国で記者会見を開き、強制連行の事実がなかったことを明確にして、でたらめの報道をした責任を問うべきである。
天皇陛下は、在位中の韓国訪問を希望されているという報道もあった。我が国と韓国との歴史に照らし慰安や親善のために韓国を訪問されるとの陛下のご意思は立派である。
しかし、そうしたことも朝日新聞が原因で難しくなっている。私は、以前、朝日新聞を「ブンヤ」と述べたことがあったが、事実を誇張しおもしろおかしく報道して新聞を売る目立ちたがり屋が「ブンヤ」である。
朝日新聞のスター記者である星浩は9月14日付紙面で「事実と正直に向き合いたい」と述べているが、正直、このコラムをみて、当たり前のことではないか、と考えてしまった。逆にいうと朝日新聞はこれまで特定の意図をもって事実をねじ曲げてきたことの裏返しといえる。たしかに私に小論文の書き方を教えてくれた朝日新聞の記者は、「記事というのは、たとえ客観報道を心が得ていても新聞を見比べていれば掲載されているものと、されていないものがある。あえて掲載するということは、その新聞の意図に合うから載せるということで、その背後にあるインテンションを読み取ることが良い小論文を書く秘訣だ」というようなことをいっていた。
事実のねじ曲げは東京電力での吉田所長(故人)の指示違反があったという記事で顕著であった。どこをどうみると、そのような記事になるのだろうか。都合の良い部分のみを切り取り、その他の部分を隠ぺいし、ショッキングなスクープに仕立てたのだ。そして、この記事は韓国メディアに好んで掲載され、福島の作業員は「セウォル号の船長と同じ」などと報道されたのである。放射能汚染の最前線で作業に当たった人たちの名誉を著しく陥れる侮辱であり、それを海外にもそのような印象を与えたという点は問題である。
この点は、「慰安婦問題」でも同じことである。
しかしながら、朝日新聞は、自分たちが日韓関係を損ねる元凶になっていたり、海外での日本の評判を下げる結果になっていることに鈍感であり、日本が国際社会における存在感が相対的に低くなっていることとも関係がある。
言論の自由は大事だが、朝日新聞は自説に合わないという理由で、池上彰氏のコラムと週刊誌の広告を掲載拒否した。朝日新聞自体が言論封殺をやっているのであるから、朝日新聞の表現の自由の法理を語る資格はない。
表現の自由は、言論の自由市場で自由に討論、批判することで、真理に近づけるという考え方に基づいており、池上氏のコラムの掲載拒否は、論外という外はない。
また、朝日の記事に対する批判記事に対してブログ記事も含めて抗議書を送付したのも、経営破綻する末期のJALによく似ている。おそらく朝日新聞はジャーナリズムとしては末期ガンにかかっているのではないだろうか。
星記者は、朝日新聞の反省については語らぬまま、朝日新聞が関心のあるテーマである集団的自衛権、消費税、社会保障などに紙面が割けなくなり残念だ、というような趣旨を述べている。本当に反省しているのだろうか。
朝日新聞は任天堂に関する記事でインタビューを捏造した事実も明らかになり謝罪記事が掲載された。
そして、星記者が掲げたテーマが「事実と正直に向き合いたい」。これまで「事実と不遜に向き合ってきた」ということであり、謙虚にして驕らずという態度がなく、「天下の朝日様」という上から目線報道が目立ちすぎたのかもしれない。
弁護士からすれば、取材源秘匿の原則というのは、逆にでっちあげ記事を作ることを認める原則のように思えてならない。弁護士は証拠に基づいて事実を語らないといけないが、朝日新聞には噂レベルの話しもよく掲載されている。
そしてそれが真実かどうかは取材源が秘匿、つまり証拠は明らかにしないから検証のしようがないのだということである。そして、記事が真実であるかどうかは読者のその新聞社に対する信頼関係で成り立っていたと思うが、朝日新聞に関しては、その信頼関係を自ら失う行動に出たのであって、これからは調査報道も、吉田調書などは調書をすべて掲載したうえで記事にしない限り、「オオカミ少年、朝日新聞」がこういう報道をしているというレベルにとどまってしまうと考えられる。
星記者が日曜に想うことが「事実と正直に向き合いたい」ということはある意味では当たり前すぎるし、朝日新聞は自社の記事がどのような悪影響を与えたのかについても、自己で検証記事を掲載するべきである。また、これだけ日韓関係を悪化させた当事者として、言論弾圧をしておきながら表現の自由を盾に国会への招致を拒む資格はない。むしろ積極的に、国民代表の集まりである国会に、朝日関係者は出席して、自己の報道の問題点について本当に反省のあるのか、傲慢ではなかったのか、卑怯ではなかったのか、利己的ではなかったのか、ということを向かい合って欲しい。事実と正直に向かい合うなど当たり前のことすぎて、それを主題に掲げないといけないほど朝日新聞は捏造記事が多すぎたということのように考えられます。
朝日新聞に限らず、知識が豊富な人はいても、人間に対する叡智や哲学、勇気を持つ者が少なかったかもしれない。朝日新聞は、その上に謙虚さも持ち合わせていなかったことが、大きな災いの元だったように考えられる。