日曜に想う。

いくつかの論点をくっつけて想ってみたい。

 

まずは、英国のEU離脱である。結局、メディアの期待には反して離脱派が多数を占めて、EUからは離脱することになった。

しかし、東欧州のEU市民は自由に受け入れるのに、日本人は高技術者等でも移民に厳しい姿勢はもとより疑問だった。EU全体が閉鎖的にさせたといってもいい。

そして、英国からの拠出金は、スペインやポルトガルでの橋の建設に使われていることや、ブリュッセルの高級官僚らの高額所得、選挙で選ばれたわけではないEU大統領らの振る舞いなどEUにも反省すべきはあったのではないか。このイシューは、日本には円高に振れる可能性があるという程度で、しかもポンドは世界通貨ではないから対ユーロで円が高くなる可能性はあるものの、もともとギリシャ危機がありユーロは一面では脆い通貨で、英国のサッチャーは最後までユーロの導入に議会で「ノー!ノー!ノー!」と断じた。

 

他方、朝日新聞6月26日が社説で表現の自由のランキングが下がっているとの記事を載せた。「自由にものが言いにくくなっており、息苦しい空気が世の中をおおっている感覚は、多くの人が共有するのではないか」と。

 

最後のイシューは弁護士自治だ。なぜ弁護士のみ自治が必要か、民間で憲法をよく知っているのは弁護士だけだ。日弁連は日本最大の基本的人権に関するロビイスト団体でもある。しかし、自治が必要な理論的根拠はない。最近は、弁護士自治を強調する余り厳しくなりすぎているという声もある。

司法書士の懲戒権者である地方法務局長の方が少なくとも櫻井パパと一緒でおカネにはクリーンで公平性がある。しかも、いったん懲戒されるとインターネットで広く周知するなど弁護士懲戒は事実上死刑判決を出すのと一緒だ。それを同じ弁護士会の1年置きに回転扉にように変わる人がやるわけだが、時に私怨が入ることもあるだろう。

医師会や司法書士会には会員を守ってくれるとか、帰属意識もこうしたことからくるのだろうが、弁護士会はどうだろうか。弁護士会は会員を「攻撃」することばかり目立つような気がする。あの弁護士はああとか、この弁護士はこうとか、理事者の井戸端会議のために高い弁護士会費を支払っているのではない。たしかに、私たちは弁護士会と「ともにある(WITH)が、中ではない(IN)」(チャーチル元首相)。

 

そして、強制加入団体である弁護士会が主に共産党主催の集団的自衛権行使反対パレードを行ったのも、弁護士会会員の思想良心の自由を侵す行為であり、南九州税理士会最高裁判決にも違反しており違法であることは明らかである。朝日新聞の社説の論を借りれば強制加入団体は公平・不偏を旨とするべきであるが、「これが、表現、集会、思想・良心、学問の自由を保障した憲法を持つ国」ということになると考えている会員を少なからずいるのではないだろうか。

 

朝日新聞は指摘する。「精神的自由が危ういといわれても、眼に見える損害があるわけではない」と。だが、朝日新聞は、「自由な考えと自由な口が封じられた社会においては、仕事、お金、平和なくらしを政府に求めることも、そして、それにこたえない政府も批判することはできなくなる」というが、批判の対象は政府のみならず公権力一般に向けられるべきであろう。弁護士会長は、朝日新聞が述べる「基本的人権のおうちでもとりわけ重要」とされるものに、「命を吹き込み直すのか、それとも先細りを許すか」(朝日新聞社説からの引用)。それは、精神的自由なんて大したことないとか、騒ぎ立てることでない、というのであれば、むしろ弁護士自治は、オーソラティズムになってしまうだろう。

 

EUにとって英国は、時に、妙なバランサーの役割を果たしてきた。「我々のお金を返して」とサッチャーが要求したように、「厄介なパートナー」がいなくなるのを憂う論考もみられる。いずれにしても、出自も違う様々な人が集まる弁護士会。エリート主導の発想ではなにもできまい。指導者とされる人が目線を低くして、対話を根気よく続け、水のように柔軟に対応することではないだろうか。

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