批判と圧力の違い―NEWS23の岸井元キャスターの対談
京都は祇園祭の季節を迎え、街なかではお囃子が響き、お祭りムードが高まっています。学生時代を京都で過ごされた方にとっては、懐かしいのではないでしょうか。7月12日あたり、夏のピークを迎えることになりましょうか。
さて、人と違った生き方をしてみると、まわりに波紋を引き起こす場合があります。ただ、批判がきても、「良い方向に進んでいるサイン」と受け止める心持ちが丁度いいでしょう。
昔、浜崎あゆみさんがツイッターで反論していたりしていたことがありますが、あまり批判慣れしていないし、批判されると、グループから追い出されそのまま死を意味した時代もあったから本能的に反論したがるのでしょう。
そういう批判は、浜崎あゆみさんすら受けていることで、ましてや公権力行使公務員が誹謗中傷などと反論するなど論外という外ありません。
NEWS23の元キャスターが降板の経緯について語るのは異例ですが、2014年の首相の生出演が契機になっているというような対談になっています。
岸井氏は「イチャモンをつけられるのが嫌だからでしょう。それに現場は面倒くさい」と指摘し、「メディア側が委縮していいのか、権力側に忖度していていいのか。強い危機感を覚えます」とはな下。そして、報道は「息苦しい」のではなく「窒息するんじゃないか」と指摘しています。そして、岸井氏とNEWS23を批判する意見広告が出され「全編、僕と23への批判だった」と述べます。そのうえで「彼らが官邸の空気を先取りして、忖度して、広告を出したのかもしれません」と指摘されます。そして岸井元キャスターは、自分も取材しているが、自分の批判は聞こえてきたが、「あの広告をみて、はじめて、ここまで苛立っていたのかと思いましたね」と感想を述べられます。
またフェアネスドクトリンについても、政治的に公平中立な放送を求めているのに、権力側にそうした権限があるとみられるような雰囲気に疑問は呈されます。
岸井元キャスターは自身の降板について、無関係との説明がTBSからあったというものの「忖度もあったかもしれない」と指摘されます。
そして、岸井氏は、そもそも、テレビ局が公権力行使公務員に媚びる、忖度するメリットは何もなく面倒くさいから、もうひとつはスポンサー対策、ということを挙げ自殺行為、と批判します。そして、偏向報道をかどうかを権力側が決めるように解釈の変更が行われたのが都知事候補の桜井俊前総務省事務次官だ、と名指しで批判している。
こういう批判は、その人たちの意見の表明であって、その人たちの価値を変えることとは直接関係ありません。基本的に批判のターゲットにされても、ターゲットにされた方には、特に直接責任はなく、さらっと受け流してしまえばよいのです。そうでなければ、8日付の日刊現代の報道に対して桜井俊前総務省事務次官も反論する必要がでるのでしょうか。
最近、アルジャジーラがISのテロ事件に関連して、日本の最高裁判決がイスラム教差別を助長と受け取れる判決を出したとの報道をした直後のテロとなりましたが、こうした声にも日本の裁判所は、沈黙を守られるのでしょうか。ならばさらっとアルジャジーラなんて、と流せている証拠なのでは。受け流せないと、狭い洞窟からしか物事をみることができないのでしょう。