日本の刑法と刑訴法のバランスでは共謀罪は難しい
日本の刑法と刑訴法のバランスでは共謀罪は難しい。
朝日新聞は,3月22日も、共謀罪関連ニュースを多く報道しているのだが、先に当コラムが私的したように、朝日新聞も「日本の刑事法の原則は、犯罪の具体的な行動を伴う既遂や未遂を処罰することだ。その前の段階を処罰する予備罪などは一部の重い罪に限って設けてきた」とあるが、計画段階では危険性も乏しくまた実現可能性も低いのであるから、客観面も重視する日本の刑法は、比較的緩やかなものといえた。だから厳しくするという必要があるのだろうが。
これに対して日本の刑事訴訟法も、厳しい。よく逮捕・勾留は20日間と聴くかもしれないが、被疑者勾留の後は、質的に何も違わない被告人勾留に切り替わり2か月間裁判官による審査はない。もちろん起訴後は保釈などの整備もあるが余罪を捜査していると却下されるケースも多い。つまり、日本の刑訴法は、あまり国民に優しくなく厳しいものなのだ。
そこら辺が、共謀罪に無理のある点ではないかと思う。共謀罪は、いろいろいわれるが計画して、ガムテープをスーパーで買ったら「準備行為」が認められるとして、摘発することが可能になる。朝日新聞は、それはそれで問題というのだが、一般市民の感覚からすれば、悪い人が、資金や物品の手配をしたり、関係個所の下見をすれば、その時点で準備行為として何とかして欲しいという「安心」を求める声はあるだろう。
アメリカの刑訴法は、私はあまり詳しくないのだが、想像的にものをいうと、アメリカの刑訴法は映画などをみていても、保釈も認めらやすいし、被疑者勾留なる特別な勾留もない。逮捕はされるがすぐに自宅に帰れるし弁護士の弁護を受けられる、そういうイメージの中で共謀罪が存在したとしても、全体的なバランスは人身に対する制約が乏しい分とれていると思うのだ。
しかし、既に述べたように、日本は、刑法は緩やかで刑訴法は厳しいというバランスがあった。そして、米国では反対に刑法が厳しく、刑訴法は緩やかという面があったのではないかと思う。
別に極論すれば米国では話し合っただけで逮捕されても、すぐに釈放されるし弁護士の弁護を受けられるので、あまり問題はないのかもしれない。
しかし、「人質司法」と呼ばれた日本の刑訴法に共謀罪で刑法までも厳しくされると、自白や冤罪の温床になるのではないか。
監視社会も問題だとは思うが、そもそも人権擁護説や虚偽廃除説、そして裁判所の適正な事実認定の観点からも、有害ではないかと思う。
テロ等準備罪という名称に変える動きもあるが、郵便切手の偽造、無資格競馬、商標権の侵害、著作権の侵害、株式の超過発行も共謀罪の対象なのだが、これが、組織的犯罪集団にだけ適用される「テロ」準備罪なのだろうか。日本の治安維持法も、過去の冤罪も、刑法も刑訴法も、いずれもざるだったことから生じたのではないか。我が憲法が比較憲法上、信じられないくらい刑訴法の規定を置いているのはこのためである。
共謀罪を法律とするのであれば、被疑者勾留を廃止したり、少なくとも捜査目的を達成するための手持ち時間のような発想は考えを改め直し、刑訴法をより緩やかに改正しないと平仄がとれないと考える。