最期の多事総論と朝日新聞平成とは
朝日新聞8月27日付は「次代へ渡し損ねたバトン」という真鍋編集委員のコラムを掲載している。
「政治とは、高齢者と若い人との限られたパイのとりあいである」-筑紫哲也NEWS23の最後が近づいている多事総論で、彼はそういう述べたことを思っている。自分としては、あまりそのようにも政治を機能的にとらえていなかったのであまり納得しなかったことを覚えている。
ところで、朝日新聞は27日から「平成」の終焉とともに、「昭和」の忘れさられた世代たちに光をあてる記事を執筆しているようだ。
だが、多角的にすぎて、要するに何をいいたいのか。愛知県新城市で若者議会で1000万円の予算の使い道を決める、というのだ。
新城市は愛知県で消滅する可能性がある一つの市に挙げられてからの取り組みとのことだ。論旨は市長穂積(64)がいう、高齢者が若者を踏み台にして、自分たちは年金をもらって逃げ切りをはかろうとしている、「逃げ切り世代」と揶揄されていることに対して、そのアンチテーゼとして、「忘れ去られた昭和世代と平成世代は踏み台にされるのか」という主題を提示する点にある。
しかし特効薬があるわけではなさそうだ。国立市議の渡辺(29)は、「このままじゃ、やばい」というが、「やばい、という認識が、やばい」と思ってしまう。
朝日新聞の記事は総花的だ。12時間くらい日本で話題になった?若手官僚のやばい報告。「不安な個人、立ちすくむ国家」。
だが、現状認識のパラフレーズである「シルバー民主主義」「現役世代に極端に冷たい」とのワーディングが並んでいる。
コンテンツ産業課の今村が「日本の今後を支えるのは若い人たち。資源の配分でそんな世代を重視するべきでは」とは、筑紫哲也氏の多事総論と同じだ。いったい、筑紫氏が、20年くらい前に憂慮していたことを、今、やばい、やばい、と言い始めているのだろうか。
ここ数年勝負。
朝日新聞にきらわれているし、自民党的に不評などがこども保険を提唱している小泉進次郎氏だろうと思う。小泉氏は、「逃げ切り世代」の経団連の幹部らに年金を返上するよう申し入れたそうだ。たしかに必要な人とそうでない人は大きく分かれている。不要な人には返上してもらう、まだまだ小泉進次郎さんは若いな、と思っていたが、やばいやばい、といっている人たちと比較すれば、問題提起とささやかな分配としての正義に対して一石を投じようとしていたのではないか。
朝日新聞の記事は、論旨をもう少しわかりやすく、何を主張したいのか、論陣を張るべきだ。今更左といわれて悲しむ新聞でもあるまい。