Learn from yesterday,live for today,hope for tomorrow
アインシュタインの名言である。今は、Start nowでもいいかもしれない。
過去から学び、今を生き、未来に希望を持つ。
久しぶりに毎日新聞の識者の記事をみて、同意した。福田康夫氏のパワーバランス論である。
日朝平壌宣言から15年。電撃的とも思えた小泉訪朝の構想はよく練られたものであった。
国際関係論からいえばミサイル問題は当時から顕在化していたが、その芽をつむことが可能だった。
それが国民情緒が許さなかった、拉致問題最優先という順位をつけたがために、毎朝、Jアラートのブレーキングニュースだ。
日本国民、みなが、日本海に打ち上げ花火程度のロケットを放っているだけと軽視していた問題は、日本列島の頭上を越えて飛んでいくミサイルに成長を遂げた。今後、東京の頭上をとばすなど、まずはアメリカの同盟国である日本から揺さぶりをかけてくるだろう。
北風と太陽―北朝鮮問題では、終始、当時から安倍首相がイニシアティブを握り、圧力一辺倒でやってきた。その結果が「ロケットマン(トランプのツイッターより)」の登場である。もはやチキンレースも軍事衝突の手前にまで来てしまった。その責任の一端が安倍氏にあることは間違いのないことだ。
福田氏は、そもそも、日朝平壌宣言は、日本人拉致、核、ミサイルを3点セットで解決する枠組みである。この問題が解決したら日本は、平和条約を締結して戦後補償を北朝鮮にして、日本が北朝鮮を国際社会にインビテーションするものだった。福田氏は、「今解決しないと核開発は確実に進む、進んだ後は解決はより困難になるだろう」と相互が考えていたからと指摘する。
たしかに、金正日総書記が拉致を謝罪し宣言に署名したのだから、当時はまじめに核放棄を考えたのだろう。福田首相は、示唆的に「日本国内での反発」などから合意は実現に至らなかったと指摘し、核の脅威が今や現実のものとなり、確実に北朝鮮のパワーバランスは上がっているとみるべきであろう。福田氏は「あのときのまたとないチャンスを逃した」と責任を感じると述べるが、同氏は、「媚中派」などと揶揄され安倍氏からは左翼扱いである。核の脅威は、安倍氏の圧力の意趣返しと考えることもできないだろうか。
安倍氏は地球儀外交と称して、インドなどを頻繁に訪れるが、ミサイルが日本に飛んで来たらインドは日本に何かしてくれるのか、あるいは、インドがパキスタンを攻撃したら日本は加勢するのだろうか。安倍氏のやっていることは、北朝鮮包囲網といいつつ、その逆境から生じる民族性をあまり理解していないのではないか。
福田氏は、「けしからん」というだけでは解決にならない、と指摘する。そして、日米同盟を基軸に、近隣国との関係を固めることが先である、と指摘する。日中韓がまとまっていれば北朝鮮は、勝手なことをしにくい、今はそれぞれが関係があまりよくない。サードの配備などはやむを得ないところがあるが、やはり福田氏のような触媒が自民党副総裁などにいない人材難があるだろう。そして、唯一の被爆国という立場の主張が弱いとして、国際社会で主張を繰り広げるべきと述べる。今はもう一度、北朝鮮が核放棄を約束し、関係国が北朝鮮の復興に手を貸すという合意に持っていくという氏の枠組みを目的に、まずは日中関係の政治的改善からである。
これはこれで難儀であるが、交渉の場で言い返せば褒められるというのは間違っている。問題は成果を挙げられるか、だ。その意味で「河野」という中国に馴染みのある現在の外相に課せられているのは、平和的に北朝鮮を国際社会に招き入れることだ。金正恩は、国家の態勢維持のために核が必要でありそのためには身を賭す覚悟だ。正男氏の暗殺もその文脈で理解される。もはや、Boys will be boys、「男ってどいつもしょうがない」が済まない。トランプもNHKの報道によれば「ロケットマン」と呼んだと報道して、何かいいたそうな報道ぶりであったが、今は、日中韓の結束を固めるときなのではないか。今日、ロケットマンとの記述に接し、大統領としての基礎的品格がないと感じた。