人の判断は細部から―シュシュからの助言

「一事は万事」という授業的な言葉がある。

 

ショーベンハウアーは、人はいつもすべてを無防備にさらけだしているわけではない。むしろ隠している部分が多く、ふたんは他人に見せる顔というものを用意して上手に使っている。月が裏の面を普段は見せないように。

 

人が自分を装う技術はとても巧みだ。弁護人として向かい合って培った洞察力をもっても民商系の詐欺師は手ごわい。社交的な交際用の声から表情のようなものを持っているように、内面や本音を気付くのは容易ではない。

 

ただ、最近、ある人間の本性に気づいた。その男は、あとて社交的な「技術」をもって取り繕うとしたが、ただ、準備することなく不意に出てしまった咄嗟の仕草、突然の反応は、心の理論からいえば心のダムが少ない人に特徴的だ。こういう人は、その人の裏面や本当の性格、そして人間としての正しさ、品性というものがひょっこりと顔を出すことがある。取るに足らない問題に対する礼儀をわきまえない行動・態度、あるいはその場限りの上司ないし部下に対する態度やあしらいに、その人のエゴイストぶりが露出するのだ。そこまでよく観察して、その人の人間性を判断しても遅くはないと思う。

 

また、今の自分は過去と他人は変えられない、変えられるのは未来と自分だけだ。いい人だと思っていても悪い影響を与えることもあります。よかれと表面的にその場限りで調子のいいことをいう人間は大勢いるのだな。簡単に仲裁人気取りではいけない。いいことを口にする人間にすがる傾向があるのですが、本当は逆境にいるからこそ、本当のことを助言してくれる人を大切にすることだと思う。特に、善人ぶっていても、「自分には関係のない」ことは、深い意味もなく適当な助言をして表面的なことをいう人ばかりと関わっていたら。

 

シュシュは、「パパは人を見る目がない。イエスマンばかりをそばにおいて裸の王様になっている。気を付けた方がいいよ」という。他方、叔父である僕は、「叔父さんは、本質を見抜いてしまう人だからイエスマンばかりではないけど・・・(いろいろ書けない苦言)」

 

パパも叔父も、一番苦言を呈するのを惜しまないのは、シュシュ(ハル)のようです。かくいう私も苦言を呈した友人がいましたが、結局、メールは帰ってこなくなってしまいました。その場限りの調子のいうことをいっていることに気付いたのでしょうね。

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