名古屋、魅力ある街へ。
名古屋市長選の投開票が行われたが、任期満了に伴う選挙ということもあり、特段、「争点」もなく、河村か、反河村かという「詰まらない」争点で選挙が行われ、自民党から共産党まで支援を受けた次点候補にダブルスコアをつけて圧勝した。
自嘲気味にいうと「弁護士」は落選すれば「弁護士」に戻ればよいだけであるから立候補もお気楽だ。
だが、中日新聞は、「市民の目には既得権側の代弁に映り、市長交代の必要性を感じられなかった」と指摘した。そのとおりだろう。
安倍政権と民主党の失政から聴かれなくなった言葉がある。それが「行政改革」だ。民主党は、行政改革をして無駄を削り予算の再分配をすることを理想としていたが、結局、その理想を体現しているのは、市長の報酬を削減し、市議の報酬を削減等しようとした河村氏だったと評価されてもいいのかもしれない。それだけ、市議の報酬の増額の経過に市民の批判が強いことを、自民党から共産党まで自覚するべきではないのだろうか。しかし、次点候補も自民党から共産党まで支援を受けるとは鵺のようでありいかにも節操がない。中央政界ではあり得ない。また、民進党系は河村氏には出身政党としてむしろ「製造物責任」からきちんと全うすべきではないか。
河村氏の庶民革命というのは、市民目線ということであり、また、朝日新聞が、名古屋が「行きたくない街」に選ばれたことを指摘し、魅力ある街作りを求めている。河村氏の天守閣の木造化構想はこのような文脈でも理解できる。小学校給食の無償化など次点候補の主張はバラマキともいえる内容だ。バラまいていてばかりでは、いつまでたっても名古屋にシンボリックは生まれない。また、河村氏が行った学校への常勤カウンセラーの配置など本質的に評価できる点もあった。
しかし、なぜ市議会との対立がここまで深まったのか。次点候補も所詮は侍であり組織運営の経験があるわけではなかった。河村氏は信認されたわけではあるが、うまく組織運営と地方自治の車の両輪である市議会との対立の緩和も必要ではないかと思われる。