お役立ちコラム

通貨スワップ取引において顧客に対する説明義務違反事例

東京高裁平成26年3月20日の判例が注目されています。

 

デリバティブ取引についての最判平成25年3月7日、3月24日について、法人顧客には、適合性原則の適用はなく、経営者は中小企業であっても投資について合理的判断が常に可能という前提で説明義務違反もないとの判断がされ、多くの疑問が提起されています。

 

その中での東京高裁平成26年。

 

本件は、通貨スワップ取引において、顧客に対する当該取引の勧誘が適合性原則、説明義務に違反し、また、断定的な判断を提供した違法なものであったか否かが専ら問題となっている事案である。いずれも金融商品取引の勧誘の違法を巡って争われる事案において争点となり得る問題であって、下級審の裁判例は数多くみられ、最高裁の判例も少なくない。
第1に、本件取引の商品性についてみると、本判決は、前記したとおり、金融商品取引法の規定する取引の分類を前提に、本件取引が通貨スワップ取引であると判断している。その認定判断は、専ら契約の解釈問題であるが、事実問題にとどまらず、法律問題を含んでいるとしても、本件取引が通貨スワップ取引であったことを前提に、以下の問題点について検討すれば足り、かつ、それが簡明であるように思われる。
第2に、適合性原則違反の成否についてみると、最一判平成17・7・14民集59巻6号1323頁は、要旨の1として、「証券会社の担当者が、顧客の意向と実情に反して、明らかに過大な危険を伴う取引を積極的に勧誘するなど、適合性の原則から著しく逸脱した証券取引の勧誘をしてこれを行わせたときは、当該行為は不法行為法上も違法となる」と、要旨の2として、「証券会社甲の担当者が顧客である株式会社乙に対し株価指数オプションの売り取引を勧誘してこれを行わせた場合において、当該株価指数オプションは証券取引所の上場商品として広く投資者が取引に参加することを予定するものであったこと、乙は20億円以上の資金を有しその相当部分を積極的に投資運用する方針を有していたこと、乙の資金運用業務を担当する専務取締役らは、株価指数オプション取引を行う前から、信用取引、先物取引等の証券取引を毎年数百億円規模で行い、証券取引に関する経験と知識を蓄積していたこと、乙は、株価指数オプションの売り取引を始めた際、その損失が一定額を超えたらこれをやめるという方針を立て、実際にもその方針に従って取引を終了させるなどして自律的なリスク管理を行っていたことなど判示の事情の下においては、オプションの売り取引は損失が無限大又はそれに近いものとなる可能性がある極めてリスクの高い取引類型であることを考慮しても、甲の担当者による上記勧誘行為は、適合性の原則から著しく逸脱するものであったとはいえず、甲の不法行為責任を認めることはできない」とそれぞれ判示して、適合性原則違反の成否の判断基準を示すとともに、適合性原則違反の勧誘が顧客に対する担当者の不法行為を構成し、したがって、会社に使用者責任を生じさせることを明らかにした判例であって、同判旨は、以後の下級審の裁判例において明示して引用されるだけでなく、同判旨に従った判断が示されるといったように、裁判実務に定着したものとなっている。

 

原判決は、明示的に同判旨を引用してはいないが、前記判断基準は、同判旨を踏まえたものとなっている。その判断基準に従った検討を加えた結果、原判決は、本件事案においては、適合性原則違反は認められないとして、これを否定しているところ、本判決は、同判旨を明示的に引用した上で、原判決の判断を是認しているが、前掲最一判平成17・7・14も、結論的には、当該事案における適合性原則違反を否定する(ただし、原審において、その余の争点に対して判断を示していないため、原判決を破棄して、当該争点について審理を尽くさせるため、事件を原審に差し戻す)ものであった。

第3に、説明義務違反の成否についてみると、金利スワップ取引についてであるが、最一判平成25・3・7は、要旨として、「銀行と顧客企業との間で、変動金利が上昇した際のリスクヘッジのため、同一通貨間で、一定の想定元本、取引期間等を設定し、固定金利と変動金利を交換してその差額を決済するという金利スワップ取引が行われた場合において、次の(1)~(3)など判示の事情の下では、上記取引に係る契約締結の際、銀行が、顧客に対し、中途解約時の清算金の具体的な算定方法等について十分な説明をしなかったとしても、銀行に説明義務違反があったということはできない」と判示し、その事情の(1)として、「上記取引は、将来の金利変動の予測が当たるか否かのみによって結果の有利不利が左右される基本的な構造ないし原理自体が単純な仕組みのものであって、企業経営者であれば、その理解が一般に困難なものではない」こと、同(2)として、「銀行は、顧客に対し、上記取引の基本的な仕組み等を説明するとともに、変動金利が一定の利率を上回らなければ、融資における金利の支払よりも多額の金利を支払うリスクがある旨を説明した」こと、同(3)として「上記契約の締結に先立ち銀行が説明のために顧客に交付した書面には、上記契約が銀行の承諾なしに中途解約をすることができないものであることに加え、銀行の承諾を得て中途解約をする場合には顧客が清算金の支払義務を負う可能性があることが明示されていた」ことを挙示している。説明義務違反が不法行為を構成し得る前提で、当該事案において、否定的な判断を示したものと解されるが、説明義務違反を理由とする不法行為の成立を前提に、その成否を判断してきたこれまでの裁判例を是認するものとして位置付けられる。原判決も、本判決も、説明義務違反を認めているが、この点において、同最判の判旨に抵触するものではない。最判後の裁判例として、名古屋高判平成25・3・15判時2189号129頁(適合性原則違反を認めた前掲名古屋地判平成24・4・11の控訴審判決であるが、適合性原則は否定している)、京都地判平成25・3・28判時2201号103頁、東京地判平成26・3・11本誌1442号50頁などがある。もとより、適合性原則違反の場合と同様、説明義務違反を否定した裁判例も少なくない。
第4に、断定的判断の提供の成否についてみると、最三判平成22・3・30は、要旨、「金の商品先物取引の委託契約において将来の金の価格は消費者契約法4条2項本文にいう『重要事項』に当たらない」と判示している。原判決が消費者契約法4条1項に基づく取消しを否定した判断については、「上告人の外務員が被上告人に対し断定的判断の提供をしたということはできず、消費者契約法4条1項2号に基づく取消しの主張に理由がないとした原審の判断は正当として是認することができる」と判示して、これを是認している。適合性原則違反ないし説明義務違反が認められた裁判例においても、断定的判断の提供については否定される裁判例が少なくない。原判決も、本判決もその例に漏れないが、そのようななかで、断定的判断の提供が認められた裁判例をみてみると、例えば、京都地判平成23・12・20資料版商事345号200頁(ただし、適格消費者団体による未公開株式勧誘等の差止請求が認められた事例)、千葉地判平成21・10・21判タ1353号167頁、東京地判平成20・8・27判タ1293号200頁、大阪高判平成19・4・27判時1987号18頁(ただし、消費者契約法4条1項2号に基づく取消しが認められた事例)などがあります。

東京高裁は、原判決も同旨であるが、要するに、通貨スワップ取引につき、担当者の顧客に対する説明義務違反を理由とする銀行ないし証券会社の当該顧客に対する損害賠償責任を認めた裁判例である。当該取引を行った担当者として、銀行の従業員のほか、証券会社の従業員もいるところ、両者の説明義務違反を認めたため、銀行と証券会社と両社の損害賠償がそれぞれ認められている点に特徴もある。説明義務違反を認めた認定判断それ自体は、本件事案に即した事例的な認定判断であるが、説明義務違反の一部を否定するほか、適合性原則違反を否定し、断定的判断の提供も否定した認定判断をしています。

礼節と親切について―同友会第一青年同友会杉浦室のある礼節のない裸の王様

昨日、同友会の会合がありました。ひとりの人間が「あんたの世界は狭い」「変な奴」というような発言がありました。

 

残念ながら会合は「空気」を読み合う場で敷衍することを繰り返すだけで、全く無意味な場でした。もともと何かでイライラしながら来ていたのでしょう。

 

しかし、さぞ、発言した人間は、自分の世界は広く、豊かと感じている点で、経営者としてどうなのだろうか、そして人を見下すような発言と空気の醸し出し。昨日の会合は、何も得るものもなく、強いて言えば、礼節をわきまえない無礼者の裸の王様をみた気分だった。

 

ショーベンハウハーはいう。礼節とは、道徳的または知性的な恥ずべき点を、互いに見て見ぬふりをして、非難の対象にしないという暗黙の了解のことをいう。そして、礼節と親切をもって接すれば素直で好意的な態度を得られると。私も、多くの人をみてきましたが、30代であそこまで舞い上がってしまっていては会社の先行きもくらいでしょうね。空気を読むことと礼節は違います。礼節はろうにとっての熱と同じで必要不可欠なものだ、ということを他人の振りをみてわが身を直す無駄な時間を過ごしました。

 

大人の世界である程度、10代や20代の子であれば尖っているねえ、という笑い話しですぎますが、昨日の発言者は、ショーベンハウアーにいわせれば、こういう人間は見るからにぶざまな姿をさらけだしているものだ、ということになるのだろうか。

 

これをうけとめる側は、さらっとながしてしまえば、と思います。実は弁護士は辯護士といいます。つらいことをいう人、という漢字ですね。それはそれとして抱え続けていてもつらいだけだから捨ててしまったらどうかな。最近経営者では、何をやらないかがブームになっています。コアコンピンタンスに集中するということですね。30代から40代の人は自分なりの思い込みもあるし、君子豹変すというくらいの柔軟性もない。だから頑張っても連中は絶対に理解しないし、理解できる人を探した方が建設的ですよね。人格否定するような人まで仲良くする必要がある?怒りやイライラをぶつけてくる幼稚な人に割く時間ある?辛いことは忘れて、いざ今日は今日の風が吹きますよ。Go foward with Baby STEPs.

最期の多事総論と朝日新聞平成とは

朝日新聞8月27日付は「次代へ渡し損ねたバトン」という真鍋編集委員のコラムを掲載している。

 

「政治とは、高齢者と若い人との限られたパイのとりあいである」-筑紫哲也NEWS23の最後が近づいている多事総論で、彼はそういう述べたことを思っている。自分としては、あまりそのようにも政治を機能的にとらえていなかったのであまり納得しなかったことを覚えている。

 

ところで、朝日新聞は27日から「平成」の終焉とともに、「昭和」の忘れさられた世代たちに光をあてる記事を執筆しているようだ。

 

だが、多角的にすぎて、要するに何をいいたいのか。愛知県新城市で若者議会で1000万円の予算の使い道を決める、というのだ。

新城市は愛知県で消滅する可能性がある一つの市に挙げられてからの取り組みとのことだ。論旨は市長穂積(64)がいう、高齢者が若者を踏み台にして、自分たちは年金をもらって逃げ切りをはかろうとしている、「逃げ切り世代」と揶揄されていることに対して、そのアンチテーゼとして、「忘れ去られた昭和世代と平成世代は踏み台にされるのか」という主題を提示する点にある。

 

しかし特効薬があるわけではなさそうだ。国立市議の渡辺(29)は、「このままじゃ、やばい」というが、「やばい、という認識が、やばい」と思ってしまう。

 

朝日新聞の記事は総花的だ。12時間くらい日本で話題になった?若手官僚のやばい報告。「不安な個人、立ちすくむ国家」。

だが、現状認識のパラフレーズである「シルバー民主主義」「現役世代に極端に冷たい」とのワーディングが並んでいる。

 

コンテンツ産業課の今村が「日本の今後を支えるのは若い人たち。資源の配分でそんな世代を重視するべきでは」とは、筑紫哲也氏の多事総論と同じだ。いったい、筑紫氏が、20年くらい前に憂慮していたことを、今、やばい、やばい、と言い始めているのだろうか。

 

ここ数年勝負。

 

朝日新聞にきらわれているし、自民党的に不評などがこども保険を提唱している小泉進次郎氏だろうと思う。小泉氏は、「逃げ切り世代」の経団連の幹部らに年金を返上するよう申し入れたそうだ。たしかに必要な人とそうでない人は大きく分かれている。不要な人には返上してもらう、まだまだ小泉進次郎さんは若いな、と思っていたが、やばいやばい、といっている人たちと比較すれば、問題提起とささやかな分配としての正義に対して一石を投じようとしていたのではないか。

 

朝日新聞の記事は、論旨をもう少しわかりやすく、何を主張したいのか、論陣を張るべきだ。今更左といわれて悲しむ新聞でもあるまい。

202X年、人余り再び?

日本経済新聞に、現在失業率がほぼゼロの日本で、Aiが導入されるから早ければ2020年には、人余りが起こるという「占い」がのりました。たしかに、人が少ないので人が少なくても廻る仕組みを導入していった結果、というのは、産業革命とあまり理屈の上では変わらないように思います。

 

もっとも、こうした記事を吹聴しているのは日本電産。望ましい筋道ということだろうか。

 

日本は有効求人倍率は1.51で、完全失業率は事務系は0.31になるなど、完全雇用状態になっており、人手不足が深刻化している。コンビニでベトナムの方が多いというケースもあるだろうが、今後、移民ということも考えていかなくてはならない。日本では、東京を中心に、サービス業も多くこれらはAIによる代替は難しく、人によるサービスとならざるを得ない。今後は、労働の担い手がいなくなれば残業も増えるだろうし事業拡大やサービス維持に支障をきたしかねないといえます。日経の取材では、現在の仕事のうち3割が機械に置き換えられるといいますが、高価なリース契約に代表されるように、人ひとりいれば足りることも多く、人の価値そのものをあまり低く見積もっている点で機械的な印象を受けます。

 

リクルート系は2015年には失業率が上昇に転じるということですが、そのすべてが労働環境だけで論じられないであろうと思います。リセッションが始まれば求人も減少します。もっとも、AIの発達により社員に一段と高い水準の能力を求める、との指摘もある一方で、人間の足らないところを補う機械でなければAIの意味はないのではないか、とも思います。

 

そこまでの、外部環境を変化させるパワーがAIにあるか、特に求人が多い、介護、飲食、自動車運転、商品販売、営業をどう、AIに置きかけていくのか、疑問もあるところです。事務系も人間力が意外と求められるところで、それは求人にも端的にあらわれているのではないか、と感じます。

高齢者と適合性原則違反

東京地裁平成28年6月17日は、昭和5年生まれのXにつき、平成20年4月ないし9月にかけてY1証券から4種類の仕組債を4回購入した。しかし、いずれも参照銘柄の株価があらかじめ定められていたノックイン水準以下になり、各期限前償還判定日にあらかじめ定められたノックアウト水準以上にならなかったため、中途売却または償還によって損失を被ったとして、不法行為に基づく損害賠償請求を求めた事案です。

 

争点は、適合性原則、説明義務違反です。

 

本判決が、適合性原則違反については、本件各商品の購入による損得を適切に判断するために、相当高度の投資能力が要求されるものであったと指摘されました。ところが、Xの年齢や認知症に加えて、その投資以降、財産状態および投資経験等の諸要素を総合的に考慮すると、適合性の原則から著しく逸脱していたことは明らか、としました。

 

そして、Xの属性、投資取引に関する知識、経験、財産状況等に照らすと、Xにおいて、本件各商品の取引に伴う危険性を具体的に理解できるような情報が必要な時間をかけて十分に提供されたとはいえないとして、Y1証券担当者の説明義務違反を認めた。ただし過失相殺3割。

消費者契約法が改正されました。

契約取消権の行使期間が1年に延ばされました。(消費者契約法7条1項前段)

過量契約の取り消しができるようになりました。(消費者契約法4条4項)

不実告知における重要事項の射程距離が拡大されました。(消費者契約法4条5項3号)

 

特定商取引法においても、電話勧誘販売における過量販売規制や通信販売におけるファックス広告規制が導入される等の改正がなされています。

医療安全に関する愛知県の会議にオブザーブ参加してきました。

愛知県の医療関連の会議に、愛知県弁護士会の紛争解決センターの医療(安全)ADR部会医院として参加してきました。

 

内容につきましては、弁護士会の会報に掲載される予定です。

 

参加の目的は地方自治体の実情を知るとともに、愛知県弁護士会の強みである医療ADRについて利用を求める可能性について発言させていただくためです。

 

ここからは一般論ですが、愛知県が強いのは、ADRでは応諾率が高いという点です。弁護士というと患者側という刷り込みがあるかもしれません。しかし、医療側の理解もあり、納得や説明、さらには専門委員制度もあります。医療ADRの課題は、受付で申立の実情を起案する代理人や代書人の不在という点があります。こうした点について、今後、医療ADRとして取り組んでいく課題ではないかと思われます。

 

ある読み物で興味深い指摘がありました。

 

医療訴訟の患者側の弁護士の想いは意外とまじめです。医師の責任を追及すれば医療ミスがなくなるという理想があるのです。しかし。ヒューマンエラー、還元すれば「To err is human.

」からすれば、個人の責任の追及もさることながら、医療行為が施されるシステム全体に着目して再発防止を図るアプローチになっています。また、治療もチームによる医療が中心となり、昔のような職人的な外科医などは少なくなってきています。

 

2015年に医療事故調査制度がはじまりましたが、これもシステムに光を当てています。もっとも、医療事故調査制度の医療サイドの不満は、医療訴訟の証拠へ活用可能になっていることである。しかし、この点は、映画ハドソン川の奇跡が示したように、航空事故調査委委員会の書類は訴訟では使えないとなっても本人のキャリアやライセンスには致命的な打撃になる可能性もあるのです。ハドソン川の奇跡では、航空事故調査官からパイロットに対してラガーディアやタラーボロに向かい無事着陸したとのシュミレーションが示された。しかし、これは、不確実性が全くない机上の空論とされ、シュミレーションを成功させるのに何回もやり直しをしているという事実が明らかになりました。つまり、極端な結論ありきの判断の置き換え(判断代置)という手法で判断されると,英雄も犯罪者になってしまうわけです。アメリカの航空事故調査委員会においても、真実は明らかにされるべきものの、調査への協力がスムースではないというのは、法律がある国においても難しい課題なのだと思います。

 

今後は、医療調査報告書について、証拠制限や立証趣旨を制限すべきとの討議が出ているようです。また、弁護士への批判について「科学論文を証拠として使う際、都合の良いところを出してくる」との批判もあります。そのうえで、実際に訴えてから立証を考えるケースの増加など、ADRに本来資する案件が相当数あるように思われます。また、謝罪について、医師として謝罪の必要性はあっても病院が悪いと記載しなければ、あるいは、金銭賠償がないと納得しないのでは、報告書の意味がない、との見解もあるようです。(なお医療事故調査制度については、医療安全に関する愛知県の会議とは無関係です。)

共謀罪施行を問う。

共謀罪施行を問うという記事が朝日新聞7月10日付に掲載された。

 

受験時代に左陪席裁判官だった方が、大学教授などへ転身されていくのも少し一抹の寂しさを感じる。

 

裁判官は元判事の水野智幸氏で法政大の教授だ。たしか木谷氏の退官記念論文集の論文を呈上していた記憶がある懐かしい名前だ。

 

ポイントは、司法試験的にもですが、

・犯罪の実行行為があってから捜査が始まるという罪刑法定主義の原則や適正手続の保障が大きく変容する

・警察は、証拠がなくても内心を問題にすれば逮捕できるのですから、内部基準が必要

・裁判官も重大な責任を負うことになった

 

私は、共謀罪はある国の刑訴法はリベラルで通常、即日外に出られて訴訟の対策を練ることができるなど、日本との刑訴制度の違いを指摘し、日本は刑法の処罰範囲も、刑訴法の人権擁護保障も貧弱と指摘しており、刑訴法の人権擁護機能の強化を主張していました。

 

・この点、日本維新の会が可視化などの付帯決議をさせたのは評価に値します

・もっとも、準抗告制度と勾留の取消制度の新制度を採用すべきではないかと思います。

・今、勾留が不当であるとして準抗告をしたとしても、2行くらいの理由が示されるだけです。また、勾留理由の裁判は修習中に担当したことがありますが、勾留部以外の部の裁判官が単独体で、あたりさわりない部分のみちょろっと述べるだけで、被疑者の攻撃防御にあまり役立っていません。

・また、勾留取消制度が機能せず、すべて保釈で対応する、起訴時に勾留がとかれるケースも少ないといえます。

 

今後は、実効性のある勾留に対するクレーム制度の導入が共謀罪と並んで不可欠といえると思われます。

都議選の自民党敗北の感想

都議選の自民党の敗北は、奇しくも藤井聡太四段の黒星と重なるところもあった。

 

共謀罪について被疑者に今後は組織犯罪の場合、こうなりますよ、とレクチャーすると驚く人も多い。

 

例えば、大麻取締法違反の栽培罪の場合、肥料を買っても客観的準備行為になるので共謀罪が成立することになる。

 

後から回顧的に判断ができてしまい、予測可能性が立ちにくいというのが難点だ。

 

さて、東京都議選は、実はただの都議選ではない。日本の有権者の10パーセントの民意が示される場所であり、テーマは必ずしも都政にかかわるものばかりに限定されない。

そのため、どの政党も国政選挙と同じだけの態勢をとることになる。

 

聴衆から安倍首相に「辞めろ」コールが起こると、首相は「『こんな人」たちには負けるわけにはいかない」と述べたのだが、「こんな人」に負けたのは、謙虚さに耳を傾けなくなった一つのエピソードともいえる。同じことは藤井四段にもいえる。虚心坦懐目の前に石に向かい合うべきで、結果的に低段者は、低段者同士との対局が多いことから終わってみれば大したことではないのではないか、かえってタイトル戦の挑戦権も得られずに終わってしまった。一見、上手くいっているようにみえて周りにもてはやされるときほど要注意ではないのか、と思う。

一定の理解が得られた集団的自衛権や安全保障政策に関する法制は指示も得られている。しかし、共謀罪は刑法体系そのものを覆すものといえる。これを委員会採決を「省略」するということでは、委員会中心主義の否定でもあり、議会のルールすら無視している。これは、安全保障とは関係がなく、単なる警察官職務執行法と同じように警察立法の強化にほかならない。最近、被疑者からドローンで家の中を撮影されたことがあった、というように、警察の捜査手法もあの手この手となっている。

 

私は、安倍政権で、仮に野党に防いでもらいたい法案はすべて成立させられてしまった。したがって、後は、安倍政権の疑惑的なことを追及してもあまり生産的とは思わない。

むしろ行く先が気になるのは、都民ファーストの会と小池知事である。名古屋は減税日本という地域政党が初期のガバナンスに失敗した。また、昨日、TBS系が報道していたように、もともと小池氏は自民党で、単純に稲田氏や高市氏らの重用から自身が安倍政権が続く限り、一番脂ののった時期に何もできないところから、外に出たわけである。もともと、小池氏は論考で、大日本帝国憲法の復活を主張する破棄論を唱えた論者であり、都民ファーストにもそうした議員がいる。そういう意味で、東京都連を敵と見立てるものの、国政では安倍氏と協力することもあり得るように思われる。国政への挑戦はともかく都知事、現職としての実績と都民ファーストの実績が今日から問われはじめた、といえるのではないか。

バニラエアとクレーマーの炎上騒動

格安航空会社として運行しているLCCのバニラエアに車椅子の乗客が搭乗する際、タラップカーを自分で登るようにいわれたと気勢をあげてNHKなどが報道した。

 

しかし、他方で、以下のような事実も認められた。

・バニラエアでは関西=奄美間では、車椅子利用者をアシストする設備をおいていないので、合理的理由により予約を拒んでいる。

・東京を経由したり、レガシィエアラインを使えば問題はなかったように思われる。

・問題なく搭乗できたにもかかわらずテレビにアピールして謝罪をさせている。

・最初から現実的悪意があったのではないか。

・同行者はなぜおんぶなどをしなかったのか、付添人として無意味である。

 

私にもこんな経験がある。ルフトハンザドイツ航空のプレミアムエコノミーで出張中、出てきた料理が蕎麦だったが、私は蕎麦アレルギーを持っているので機内料理が食べられないということがあった。CAに困難なことだとは思うが、なんとかならないか、といったところ、ルフトハンザの応えはこうだった。

・ルフトハンザでは、特別なミールを提供するサービスを提供している。

・締め切りは3日前である。

・今回は申出がない。

・よって、あなたが悪い。

 

というような対応であった。

 

以前のコラムで世の中が神様だらけになると息苦しいと書いた記憶があるが、障害者は差別されないだけであって、「神様になれるわけではない」のであって、事前の伝えると搭乗を断られる可能性も織り込んでいたと言わざるを得ない。

 

障害者差別解消法が施行されて1年以上たつが、同法は、障害の有無にかかわらず、個人が力を十分発揮できる社会を目指している。「合理的配慮」といって、過重な負担にならない範囲で、障害者の行動の妨げを取り除く努力を行政や企業に義務付けた。

 今回のバニラ・エア問題で最も問われるべきは、同社が乗客の立場に立って行動したかだ。欧米ではおんぶをして、搭乗させる介護者が付き添っていることもあるが、介護者と一緒にどうしてこういう努力をしなかったのだろうか。人間らしさという観点から考えれば、複数名で協力すれば人力でタラップをあげることもできたと思う。問題は、問題に直面するときに人間らしく問題を解決することができるか、ではないだろうか。

 バニラ・エアの社内規定は、客を車椅子ごと抱えてタラップを上り下りする行為を禁じていたという。ならば乗客にも協力を求めておぶって搭乗させればよいだけではないだろうか。

 もっとも、LCCは設備投資や人件費を削減して運行するビジネスモデルである。バニラエアは、この問題が報じられるや、椅子型になる担架を導入し、その後、階段昇降機も設置したというが、奄美空港に設置する合理性があるかどうかというと、経営者の私が思うところ拠点空港でもない奄美に配置するメリットはないと思われる。結果的にマスコミ・パッシングを恐れたもので対応は、コストはかかるものの適正であると思う。しかし、障害者差別解消法は合理的なものはやむを得ず、奄美のように1日に数えるほどのフライトのために昇降機を設置するというのは合理性はないとも考えられる。

 男性への非難には、「LCCではなく、設備の整った航空会社を利用すればいい」というものがある。だが、運賃が安いから障害者はあきらめよ、という理屈は通らない、と毎日新聞は指摘するが、これは無人駅で降りられないことは差別だ、といっていることと同じであり、ヒューマニティの観点から判断すべきであるし、レガシィキャリアもLCCが困っていたら昇降機を貸してあげるくらいのおおらかさは同じ空港で働く仲間として必要ではないか。バニラエアもこうした会社の垣根を越えた人間関係の構築などをしていなかったツケが廻ってきたようにも思われる。

 男性が、車椅子の利用をあらかじめ航空会社に伝えていなかったことも批判されている。交通機関が、支援の準備をするため事前の連絡を求めるのは一般的だからだ。

 その点、両者に考えさせられることがあったと思われるが、一方的に、障害者サイドが悪いとはいえないと思われる。

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