お役立ちコラム

海外子会社の所得にタックスヘイブン対策税法を適用したことが違法とされた例

海外子会社の所得にタックスヘイブン(租税回避地)対策税制を適用した課税処分をめぐり、デンソーが処分取り消しを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(山崎敏充裁判長)は平成29年10月24日、デンソー側の主張を認めた。名古屋国税局による約12億円の課税を認めた二審判決を破棄。デンソーの逆転勝訴が確定した。

タックスヘイブン対策税制は、税率が低い国・地域にある子会社の主な業務が「株式の保有」にとどまる場合、日本の親会社の所得に合算して課税する。子会社に事業実体があるなど一定の要件を満たせば適用が除外される。訴訟ではシンガポールにあるデンソー子会社が適用除外にあたるかが争点になっていた。

デンソー側は「子会社は東南アジア地域を統括する事業を担っている」と主張。国側は「子会社の業務は株式保有に含まれる機能にすぎない」としていた。

同小法廷は判決理由で「子会社の地域統括業務は調達や財務、物流改善など多岐にわたる。域内グループ会社の効率化やコスト低減を目的としており、相当の規模と実体を有していた」と指摘した。

 

要するに、株式の保有のみの場合、日本の親会社の所得に合算されるのですが、デンソーの海外事業が、単なる株式保有にとどまらない事業をしていたかが争点となりました。最高裁は、法制の制度趣旨を述べつつ、海外で事業を行っている会社に適用することは弊害がある。最高裁は地域統括事業を行っていたと指摘し、単なる株式の保有とするという事実認定を否定しました。税法については、解釈と事実認定ですが、本件では、双方が問題になっているといえそうです。

 

5 (1) 措置法66条の6第1項は,内国法人が,法人の所得等に対する租税の負担がないか又は極端に低い国若しくは地域(タックス・ヘイブン)に子会社を設立して経済活動を行い,当該子会社に所得を留保することにより,我が国における租税の負担を回避しようとする事例が生ずるようになったことから,このような事例に対処して税負担の実質的な公平を図ることを目的として,一定の要件を満たす外国子会社を特定外国子会社等と規定し,その課税対象留保金額を内国法人の所得の計算上益金の額に算入することとしたものである。
 しかし,特定外国子会社等であっても,独立企業としての実体を備え,その所在する国又は地域において事業活動を行うことにつき十分な経済合理性がある場合にまで上記の取扱いを及ぼすとすれば,我が国の民間企業の海外における正常かつ合理的な経済活動を阻害するおそれがあることから,同条4項は,事業基準等の適用除外要件が全て満たされる場合には同条1項の規定を適用しないこととしている。
(2)ア 措置法66条の6第4項は,同条3項にいう株式の保有を主たる事業とする特定外国子会社等につき事業基準を満たさないとしているところ,株式を保有する者は,利益配当請求権等の自益権や株主総会の議決権等の共益権を行使することができるほか,保有に係る株式の運用として売買差益等を得ることが可能であり,それゆえ,他の会社に係る議決権の過半数の株式を保有する特定外国子会社等は,上記の株主権の行使を通じて,当該会社の経営を支配し,これを管理することができる。
 
 しかし,他の会社の株式を保有する特定外国子会社等が,当該会社を統括し管理するための活動として事業方針の策定や業務執行の管理,調整等に係る業務を行う場合,このような業務は,通常,当該会社の業務の合理化,効率化等を通じてその収益性の向上を図ることを直接の目的として,その内容も上記のとおり幅広い範囲に及び,これによって当該会社を含む一定の範囲に属する会社を統括していくものである。

 そうであるから,その結果として当該会社の配当額の増加や資産価値の上昇に資することがあるとしても,株主権の行使や株式の運用に関連する業務等とは異なる独自の目的,内容,機能等を有するものというべきであって,上記の業務が株式の保有に係る事業に包含されその一部を構成すると解するのは相当ではない。

 そして,A各事業年度において,Aの行っていた地域統括業務は,地域企画,調達,財務,材料技術,人事,情報システム及び物流改善という多岐にわたる業務から成り,豪亜地域における地域統括会社として,集中生産・相互補完体制を強化し,各拠点の事業運営の効率化やコスト低減を図ることを目的とするものということができるのであって,個々の業務につき対価を得て行われていたことも併せ考慮すると,上記の地域統括業務が株主権の行使や株式の運用に関連する業務等であるということはできない。
イ また,措置法66条の6第4項が株式の保有を主たる事業とする特定外国子会社等につき事業基準を満たさないとした趣旨は,株式の保有に係る事業はその性質上我が国においても十分に行い得るものであり,タックス・ヘイブンに所在して行うことについて税負担の軽減以外に積極的な経済合理性を見いだし難いことにある。この点,Aの行っていた地域統括業務は,地域経済圏の存在を踏まえて域内グループ会社の業務の合理化,効率化を目的とするものであって,当該地域において事業活動をする積極的な経済合理性を有することが否定できないから,これが株式の保有に係る事業に含まれると解することは上記規定の趣旨とも整合しない。
 以上によれば,A各事業年度において,Aの行っていた地域統括業務は,措置法66条の6第3項にいう株式の保有に係る事業に含まれるものということはできない。
(3)ア 次に,措置法66条の6第3項及び4項にいう主たる事業は,特定外国子会社等の当該事業年度における事業活動の具体的かつ客観的な内容から判定することが相当であり,特定外国子会社等が複数の事業を営んでいるときは,当該特定外国子会社等におけるそれぞれの事業活動によって得られた収入金額又は所得金額,事業活動に要する使用人の数,事務所,店舗,工場その他の固定施設の状況等を総合的に勘案して判定するのが相当である。
イ これを本件についてみると,Aは,豪亜地域における地域統括会社として,域内グループ会社の業務の合理化,効率化を図ることを目的として,個々の業務につき対価を得つつ,地域企画,調達,財務,材料技術,人事,情報システム,物流改善という多岐にわたる地域統括業務を有機的に関連するものとして域内グループ会社に提供していたものである。そして,A各事業年度において,地域統括業務の中の物流改善業務に関する売上高は収入金額の約85%に上っており,所得金額では保有株式の受取配当の占める割合が8,9割であったものの,その配当収入の中には地域統括業務によって域内グループ会社全体に原価率が低減した結果生じた利益が相当程度反映されていたものであり,本件現地事務所で勤務する従業員の多くが地域統括業務に従事し,Aの保有する有形固定資産の大半が地域統括業務に供されていたものである。
 以上を総合的に勘案すれば,Aの行っていた地域統括業務は,相当の規模と実体を有するものであり,受取配当の所得金額に占める割合が高いことを踏まえても,事業活動として大きな比重を占めていたということができ,A各事業年度においては,地域統括業務が措置法66条の6第3項及び4項にいうAの主たる事業であったと認めるのが相当である。よって,Aは,A各事業年度において事業基準を満たすといえる。
(4) そして,前記3(2)の事実関係等によれば,A各事業年度において,Aは本店所在地国であるシンガポールにおいて地域統括業務に係る事業を行うのに必要と認められる固定施設を有していたこと,株主総会及び取締役会の開催,役員の職務執行並びに会計帳簿の作成及び保管がいずれも同国において行われるなど,Aが本店所在地国において事業の管理,支配及び運営を自ら行っていたこと,地域統括業務に係る事業は,措置法66条の6第4項1号に掲げる事業のいずれにも該当せず,Aはその事業を主としてシンガポールにおいて行っていたことがそれぞれ認められるから,Aは,前記2(2)②から④までの各要件に係る基準を満たすといえる。
 
 したがって,上告人は,AにつきA各事業年度において適用除外要件を全て満たし,本件各事業年度において措置法66条の6第1項の適用が除外されるから,事業基準を満たさないことを理由に同項を適用してされた本件各処分(ただし,平成21年3月期の法人税の再更正処分については確定申告に係る所得の金額を超える部分及び翌期へ繰り越す欠損金の額を下回る部分)はいずれも違法というべきである。

新しい消滅時効援用の新判断

本件は、最終弁済日から13年を経過した場合において、貸金業者が住所を突き止め、和解契約書を取り交わしたというものである。

名古屋簡易裁判所平成29年7月11日は、債務の承認をしても、なお時効の援用ができるとしました。

 

同判例は、消滅時効完成後は、債務者が債務の承認をした場合は援用は許されない。しかしながら、交渉経過や債務承認がなされた状況等を総合考量し、もはや債務者が時効を援用しないであろうと債務者が信頼することが相当と認められ得る状況の存在を要件として、これが認められない場合、債務者は、なおも消滅時効の援用が可能であるとしています。

 

同判例は

・高額の請求を受けた債務者は分割の申出をしてその場をしのごうとする心理状態になること

・債務者が和解契約締結後一切支払っていないこと

・債務者が弁護士に相談後直ちに援用の手続をしていること

を挙げて、「もはや債務者が時効を援用できないであろう債権者が信頼することが相当と認め得る状況の存在を否定し、債務者の消滅時効の主張を認めた。

株価指数取引及び先物取引について、不法行為を認めた事例

本件は、業者から飛び込み営業を受けて、株価指数取引及び先物取引を開始した顧客が、同取引により損失を被ったものとして、業者による説明義務違反、断定的判断の提供を理由に不法行為に基づく賠償請求を求めたものです。(東京地裁平成29年8月9日)

 

判決は、業者が顧客に対して、取引の仕組みやリスク等が記載された冊子、契約締結前交付書面を交付していた事実を認定しつつも、業者はこれらの書面の内容について具体的な説明がないこと、滞在時間1時間で株価指数取引の経験のない顧客に十分に理解できる程度の説明がなされたとはいえず、後日の通話記録からしても、取引の仕組みやリスクを理解していたとはいえないことから、説明義務違反の不法行為が成立するとしました。

 

また、判決は、株価指数取引における指標や先物の価格について、顧客の有利に変動するであろうことを強調した説明は、利益が得られることが確実であることを誤認させるおのであり、断定的判断の提供にあたるとした。

エキュメニズム―「原理」への固執、他者排除に。

10月8日付朝日新聞は「宗教と暴力」というテーマの対談を掲載している。

 

池上氏は、仏教にも危険な面があるのだな、という指摘をされたのに対して、佐藤優氏は、「エキュメニズム」という言葉で論点整理をした。

 

今回の選挙でも、自公、希望、リベラルなどの政党に分かれたが、もともとは、ダイバーシティにも似た他者に寛容であることを求める考え方だ。だが、エキュメニズムの歴史も、2000年以降にはいり、キリスト教と同性愛を巡る問題など、キリスト教内での見解の差異が深刻化していく中、エキュメニズムも大きな影響を受けている。

リベラル化する米国聖公会に対して、批判を鮮明にする保守派が分裂して北米聖公会を形成。アングリカン・コミュニオン全体に分裂が顕在化している。

リベラル化する英国国教会に対して不満を抱く保守派をバチカンが受け入れる意向を示したことに対し、英国国教会のカンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズは懸念を表明。一部からは「エキュメニズムの失敗」とまで評される事態に陥っている。

 

他者を尊重するか、原理に固執するか。佐藤氏は、固執する者は、暴力を使って他者に自分たちの思想を強要したり、他者を排除しても構わないと考えたりする人たちがいる、と指摘する。そして原理原則にとりつかれると、命を捨てる覚悟があるから他者の命を奪うことも構わない、ハードルが低くなる、という。

 

佐藤氏は一部の人たちがイスラミックステートの過激思想に説得力があることに懸念を示すが、固着が激化する終焉をみるようだからだろう。

 

しかし、小池百合子氏の「排除いたします」とか、「日本語でそのように申しております」という考え方とか、踏み絵を強要するのは、エキュメニズムの正反対の思想だ。穏健な保守を標榜するとは恐ろしい。もともと小池氏は憲法破棄を訴えいたのだからハイパー右翼だ。防衛政策も安倍氏と一致していると党首討論で述べた。そして排除と刺客。どこに寛容さと他者を尊重していこうという姿勢が見えるのだろうか。恐ろしいのは、佐藤優氏の論理を推し進めると、彼女に総理になるためには命を捨てる覚悟があれば、他者のかけがえのない生命や個人の尊重も、ユリコズムで破壊されないか、ということだ。彼女の理念なき権力への意思はすざまじさを感じる。

 

民進党は、前原代表といい、身勝手なものの集まりであり、まさに「エキュメニズムの失敗」そのものであった。

しかし、立憲民主党の躍進も難しい。今後は、マンハッタン宣言のように保守的福音派、伝統主義カトリック、北米聖公会、正教会が協調した。このように所謂リベラルとは呼ばれない保守的なグループが協調する場面が増えていく。小さなコミュニティである会社や家庭は保守主義でも自由だが社会からリベラルさが失われると生きにくくなる。少数派にも配慮した社会的正義と基本的人権を擁護していくのが弁護士の職責だ。

MAEHARA Devil His Hearts

この人の政治的センスのなさにはあきれるばかりだ。

 

前原誠司氏ほど馬鹿な政治家はみたことがない。

 

今の前原氏はThe Devilだ。日本の健全なリベラル勢力を死滅に追いやろうとする気が狂ったクーデターとしかいいようがない。そもそもアメリカですらコンサバとリベラルが対立軸となっているのに、小池氏は憲法破棄を訴えた経歴のあるハイパー右翼だ。保守対ハイパー右翼が軸となる争いでは、弱い人や基本的人権のための仕組み作りはおざなりになることは明らかだ。まさに、The Devil finds work for idle hands to do=小人閑居して不善をなすだろう。

 

民進党は、設立の経緯はどうであれ連合が支持母体である以上「労働者」の党だ。経営者よりも労働者の方が圧倒的に多い世の中で、前原氏の行動は、「貧すれば鈍する」「小人閑居して不善をなす」の典型だ。経営者としても、前原氏はダメなトップの典型としてああはならないように気を付けないといけない。

 

いったい前原氏は、希望の党で主導的地位もとれず、自分のすべてを悪魔にささげて、都合の良いところだけをもぎとられるということだ。これは健全かつ穏健なリベラルに対する裏切りだ。日本国民でも、希望の党の「デスノート」に搭載された野田佳彦氏、枝野幸男氏、蓮舫氏、辻元氏を排除するのに違和感を持つ者も多いだろう。たしかに辻元氏はリベラル色がかなり強いが国土交通大臣時代、副大臣として支えた元部下をあっさり切り捨てる慈悲深さのなさから人間としての足りない部分を強烈に感じる。政治というのは最終的には慈愛ではないのか。

できることはひとつだけだ。あせらずおちついてやろうよ、ということだ。そして答えはただ一つ。民進党の新しい姿をみせることだ。前原氏はもはや民進党の代表失格である。枝野氏や野田氏が臨時の代表に就くべきだろう。リコールし、枝野氏が代表に就くのが望ましい。

 

前原氏は、希望の党にいいように使われ仲間を売った最悪のリーダーだ。永田氏のメール問題で彼を自殺に追いやった張本人は何も反省していなかったようだ。

 

結果的に

・民進党の支持母体の連合を希望の党に奪われた

・民進党の議員の半数が立候補できない見通しとなった

・大阪、愛知の知事と連携したということはこの地域の民進党議員は希望の党から立候補できる見通しがなくなったということだ。

・穏健保守といいながらと憲法9条の改正に反対する「自民党」の岸田元外相よりも右翼で、自民党内の穏健保守よりも希望の党は右翼ということが次第に分かってきたということ

・民進党と希望の党が連携するメリットは第一次の「センバツ」リストをみてもほぼないことが浮き彫りになり、悪魔が民進党の選挙準備をさせないための単なる時間稼ぎをしているにすぎないこと、とほぼ分かってきたことが挙げられる。

・小池氏も民進党に合流を打診しておきながら「センバツ」をすると述べて代表代行で憲法改正に肯定的な枝野氏や保守政治家の野田氏まで排除する一方で、問題発言で議員辞職に追い込まれ落選した中山成彬氏を迎えて「デスノート」作りに関与させていると読売新聞等に報道されるなど、明らかに政治的な公平さを欠き偏りがある。やはり急ごしらえの新党ブームに乗るべきではない。結果は日々の積み重ねでしかない。民進党は参院議員が中心となって「前原氏をリセット」すべきである。

穏健なリベラルの消滅は日本にとっても、有力な対立軸を失うことを意味する。そして、アメリカでは多くの社会的仕組みを作ってきたのはオバマケアもそうであるように、リベラリズムだったということを忘れてはいけない。NPO法成立に向けて奔走したのも辻元清美氏だ。私は辻元氏は嫌いだが、それとは別にNPOや国土交通副大臣としての評価は現実的なもので評価をしている。

健全で穏健を意味するリベラリズムを失うことは社会公共にとっても不健全で、損失になることも考えて、民進党には再度の考案を促したい。

「過程」を問わない行政・司法・政治でいいのか。

国家対市民社会というパースペクティブで世の中をみると、国家に求められるのは、国民が、公平・公正・公正らしさという信頼感にあるのではないか。

 

朝日新聞の10月1日報道によれば福田康夫元首相は「民主主義国家で、国民が様々な判断をするために正しい事実を知る」と話したという。政権をあげて政策決定の過程を記した公文書を後世に残すことに取り組まれた。

 

翻って安倍政権はどうなのだろうか。公文書を安易に破棄する。これは証拠を残さないためにそもそも作成しないケースも多いとみられる。そして存在する文書を「怪文書」という。おそらく証拠を残さないために公文書を作成しないため備忘録が広く安倍政権では流通していたとみられる。記録はあるのかないのかというと「記憶がない」と繰り返す。挙句の果てには、批判に対して、安倍首相は、被害者意識を丸出しにして「こんな人たちに負けるわけにはいかない」というが、そもそも情報は国民のものだ。せめてもの説明責任をも果たさない。

 

同じことは裁判所にもみられる。手続きの不公正としての正義がみられたが、それを是正を求める手続きをとったところ、わずか2日で何の調査もしないで決定が出された。当然即時抗告をしたが、いつもは行政に口うるさい藤山雅行も単に理由がないと述べるだけであった。このネットでも例えばこどもの親権事案はここがポイントになっている、というようにわずかなことがきっかけになっていることが多い。そのために、裁判所に対する公平・公正が求められる気配りが必要だ。だからこそ「結果」が受け入られる余地が出てくるのではないか。手続きが不公正であれば結果も不公正なものと信じるのは社会人なら普通のことだ。

 

小池百合子氏にも同じことがいえる。もはや「希望の党」は政策が見えず、単に小池氏の好き嫌いを安全保障政策で「センベツ」して奴隷議員を作る「野望の党」と同じといえる。リベラル系を排除するノートは「デスノート」と呼ばれ、枝野幸男氏の代表戦の推薦人全員がデスノートに名前が載せられている。そして、お世辞にもリベラルとはいえない野田元首相や安住氏もデスノートに名前が載ったが、これは「小池氏が嫌いだから」といわれている。

 

小池氏の「リセット」という言葉に違和感を持つ人は少なくないだろう。

 

リセットというのは、事後検証もしない、政治や人の重要な事柄が関わることで「リセット」などできるはずがない。

ゲーム感覚で物事をいっているのであれば、ギャンブラーに国の経営を任せるわけにはいかないだろう。

 

行政手続きの透明化を売りに都知事に当選しながら、情報公開も「リセット」、都知事も「リセット」では、小池氏の良識を疑わざるを得ない。政治家ではなく政治屋だ。

 

小池氏は情報公開といいつつ、築地市場の移転問題で記録がないことについて、「AI、つまり私が決めた」とけむに巻いたという。

この人の「野望の党」では、自らが総理になるためギャンブルを次々とやるのだろう。その政策の決定プロセスは「AI、つまり私が決めた」では相応しくない。そしてギャンブラーの都合が悪くなったときの言い訳は「リセット」である。我々は騙されるべきではない。

 

プロセスを問わないとたいていは独裁に陥る危険をはらんでいる。それが適正手続きというもので憲法31条にも書いてあるのではないか。それが市民社会の国家に対する信頼のマイルストーンである。

Learn from yesterday,live for today,hope for tomorrow

アインシュタインの名言である。今は、Start nowでもいいかもしれない。

 

過去から学び、今を生き、未来に希望を持つ。

 

久しぶりに毎日新聞の識者の記事をみて、同意した。福田康夫氏のパワーバランス論である。

 

日朝平壌宣言から15年。電撃的とも思えた小泉訪朝の構想はよく練られたものであった。

 

国際関係論からいえばミサイル問題は当時から顕在化していたが、その芽をつむことが可能だった。

 

それが国民情緒が許さなかった、拉致問題最優先という順位をつけたがために、毎朝、Jアラートのブレーキングニュースだ。

 

日本国民、みなが、日本海に打ち上げ花火程度のロケットを放っているだけと軽視していた問題は、日本列島の頭上を越えて飛んでいくミサイルに成長を遂げた。今後、東京の頭上をとばすなど、まずはアメリカの同盟国である日本から揺さぶりをかけてくるだろう。

 

北風と太陽―北朝鮮問題では、終始、当時から安倍首相がイニシアティブを握り、圧力一辺倒でやってきた。その結果が「ロケットマン(トランプのツイッターより)」の登場である。もはやチキンレースも軍事衝突の手前にまで来てしまった。その責任の一端が安倍氏にあることは間違いのないことだ。

 

福田氏は、そもそも、日朝平壌宣言は、日本人拉致、核、ミサイルを3点セットで解決する枠組みである。この問題が解決したら日本は、平和条約を締結して戦後補償を北朝鮮にして、日本が北朝鮮を国際社会にインビテーションするものだった。福田氏は、「今解決しないと核開発は確実に進む、進んだ後は解決はより困難になるだろう」と相互が考えていたからと指摘する。

 

たしかに、金正日総書記が拉致を謝罪し宣言に署名したのだから、当時はまじめに核放棄を考えたのだろう。福田首相は、示唆的に「日本国内での反発」などから合意は実現に至らなかったと指摘し、核の脅威が今や現実のものとなり、確実に北朝鮮のパワーバランスは上がっているとみるべきであろう。福田氏は「あのときのまたとないチャンスを逃した」と責任を感じると述べるが、同氏は、「媚中派」などと揶揄され安倍氏からは左翼扱いである。核の脅威は、安倍氏の圧力の意趣返しと考えることもできないだろうか。

 

安倍氏は地球儀外交と称して、インドなどを頻繁に訪れるが、ミサイルが日本に飛んで来たらインドは日本に何かしてくれるのか、あるいは、インドがパキスタンを攻撃したら日本は加勢するのだろうか。安倍氏のやっていることは、北朝鮮包囲網といいつつ、その逆境から生じる民族性をあまり理解していないのではないか。

 

福田氏は、「けしからん」というだけでは解決にならない、と指摘する。そして、日米同盟を基軸に、近隣国との関係を固めることが先である、と指摘する。日中韓がまとまっていれば北朝鮮は、勝手なことをしにくい、今はそれぞれが関係があまりよくない。サードの配備などはやむを得ないところがあるが、やはり福田氏のような触媒が自民党副総裁などにいない人材難があるだろう。そして、唯一の被爆国という立場の主張が弱いとして、国際社会で主張を繰り広げるべきと述べる。今はもう一度、北朝鮮が核放棄を約束し、関係国が北朝鮮の復興に手を貸すという合意に持っていくという氏の枠組みを目的に、まずは日中関係の政治的改善からである。

 

これはこれで難儀であるが、交渉の場で言い返せば褒められるというのは間違っている。問題は成果を挙げられるか、だ。その意味で「河野」という中国に馴染みのある現在の外相に課せられているのは、平和的に北朝鮮を国際社会に招き入れることだ。金正恩は、国家の態勢維持のために核が必要でありそのためには身を賭す覚悟だ。正男氏の暗殺もその文脈で理解される。もはや、Boys will be boys、「男ってどいつもしょうがない」が済まない。トランプもNHKの報道によれば「ロケットマン」と呼んだと報道して、何かいいたそうな報道ぶりであったが、今は、日中韓の結束を固めるときなのではないか。今日、ロケットマンとの記述に接し、大統領としての基礎的品格がないと感じた。

旧姓の公務員の使用拡大するなら法律を改正せよ

国家公務員が仕事をする際、結婚前の旧姓を使うことを原則として認める。各府省庁がそのような申し合わせをした。

 

昨今の最高裁判決では、近時では、旧姓使用の拡大という社会的実態が「合憲」の根拠とされたことから、いわばアリバイ作りのための申し合わせにすぎない。深刻なのは、対外的な裁判所等の公権力行使公務員でも、一例を挙げると裁判官が判決などを旧姓で言い渡せるようになる。

 

特に裁判官の世界は、世界が独特であるから、仕事とプライベートを分けるため、という人間の尊厳とあまり関係ない切実さのない論拠により、公権力行使公務員が影に隠れて行ってしまう方がおそろしい。例えば、安倍首相の安倍も、実は旧姓でした、といったら、やはり国民的支持も得られないうえ、立法もないのになぜ虚偽の署名を用いることができるのか、とても疑問だ。

 

最高裁によれば、公権力を執行中の公務員にプライバシーは認められないという。ならば、併記は認められても本名を隠匿して、というのは、反対意見などを述べた女性判事たちの想いとも違うのではないか。

 

問題があれば、少なくとも責問はできる、そのために正式な氏名をも明らかにするルールをしなければ、ますます公権力等行使公務員は怪しい存在になっていってしまう、そういう見方もできるだろう。そのために法律上、旧姓を通称名を使用するのであれば登録制とするなどルールが必要である。女性の活躍と公権力の適正な行使は別である。通称名を使用する公権力公務員などいつでも名前を気の乗ったときに帰られるのだから「名無しの権化」と一緒ではないのか。

 

民間と国家では適用されるルールが違う。私たち市民社会において旧姓使用を認めていたところで、国家が認めることとは全く意味が異なるはずだ。その論理が公権力等行使公務員ではなかったか。ドイツでも旧姓の使用はマストというわけではなく、夫婦中心主義の国では、原則は同じ氏になるのが論理的な帰結である。結婚の結果、不本意な改姓(朝日新聞9月16日社説)と考えている人はどれくらいいるだろうか。また、学者と公権力公務員では、国民の権利を制限したり義務を形成したりする点で決定的に異なり「誇りを見失ってしまったりする人」(同朝日新聞)など、情緒的でセンチメンタリックな議論は避けてほしい。

 

もっとも、民間においては、その拡充は国民の権利義務の制限とは関係ないのであるから拡大していってほしいと考える。

意外と不利ではない日本郵政東京地裁判決

日本郵便で配達などを担当する契約社員3人が、正社員と同じ仕事なのに手当や休暇の制度に格差があるのは労働契約法に違反するとして、同社に未払い分の賃金計約1500万円の支払いなどを求めた訴訟の判決が14日、東京地裁であった。

東京地裁平成29年9月14日は、労働契約法20条の規定において、均衡待遇に近い考え方を示しました。つまり換言すれば完全な平等はもともと予定されていない、といってしまっているのです。

そして、結局は、個別具体的に、待遇の格差が均衡待遇を欠くものであるか、仕事内容や責任の程度、転勤の有無などを総合的に考慮するべきとしました。

しかしながら、上記東京地判は、年末年始手当、住宅手当、病気休暇がない点を不合理としましたが、その他の差別については追認しました。経営者としては、賞与、給与、早出・夜勤手当の格差など、賃金と労働遂行が確保できるかが関心事ですが、これらはすべて不合理な差別ではないとされました。

 

考えてみると、中小企業で住宅手当まで出している会社も少ないでしょうし、年末年始は休みでしょうし、「画期的判決」といわれる割には経営者サイドに有利な判断となりました。

日本郵便は約40万人の社員のうち契約社員が半数を占める。判決は、同社だけでなく、契約社員の労働力に頼る多くの民間企業に格差是正を迫る内容で、日本郵政では大きな影響があるでしょう。

原告の3人は東京、千葉、愛知の郵便局で配達業務や窓口業務を担当する時給制の契約社員。同社には、手当や休暇について正社員と契約社員に違いがあり、3人は八つの手当と二つの休暇制度で解消を求めた。

判決はまず、労働者に対する不合理な待遇格差を禁じた労働契約法20条について、「契約社員と正社員の賃金制度に一定の違いがあることまでは否定していない」と指摘。待遇の格差が不合理かどうかは、仕事内容や責任の程度、転勤の有無などを総合的に考慮すべきだと述べた。

その上で、3人が格差の解消を求めた手当や休暇制度をそれぞれ検討。年賀状配達の業務に対して正社員のみに支払われる「年末年始勤務手当」について、「繁忙期の労働対価を契約社員に全く支払わないのは不合理だ」と認め、正社員の8割を支払うべきだと判断した。賃貸住宅に住む社員向けの住居手当も「格差に合理的な理由がない」として正社員の6割を支払うべきだとした。

さらに、病気休暇は「労働者の健康維持のための制度」、「夏期冬期休暇」は「国民的意識や観衆が背景にある」と述べ、それぞれを契約社員に認めないのは違法だと結論づけた。

一方、3人が正社員と同じ地位であることを確認するよう求めた点については、「法律に規定が無く、労使間の交渉を踏まえて決めるべきだ」として請求を棄却した。

 

本件では、長期雇用に対するインセンティブや有為な人材の確保のため、契約社員と待遇さをもうけることを認めている、と報道されています。このような主観的・意図的な目的での賃金格差については、政府がまとめたガイドライン案でも否定されています。

 

契約社員を雇用する際の参考になると思われます。

養育費不払い―大局的議論を(朝日新聞9月10日社説に反論する)

裁判で勝訴したのに、あるいは公証役場で正式な約束をかわしたのに、相手が履行しない。転職して連絡を絶ったり、財産を隠したりする――。この問題に対処するため法整備案(中間試案)を法制審議会の部会がまとめた。しかし、違和感があるのは養育費の不払いという「感情的」な議論に結びつけて、かえって弱者である債務整理や中小零細企業など保護が必要な債務者への強制執行を強める法政策という矛盾である。

例えば、労働問題で200万円の支払いを命じられても中小零細の会社の場合、「だったら破産します」といって、裁判を起こしても民事上の権利を実現することができないことがある。

朝日新聞は、「とりわけ関心が高いのは、離婚後の子どもの養育費の不払い問題」と指摘するが、法改正の実態は債権者に有利である以上、金融機関など債権者となることが多い人に有利になるという視点が欠けている。母子世帯の6割が「一度も受け取っていない」と答えたというが、一定額を超えると母子扶養手当が打ち切られるところ養育費も所得認定の対象であるので、母子家庭には「独り立ち」が必要なのではないか。母子家庭出身の弁護士としてそう思う。

他方、面会交流をしている母子世帯は3割にも満たないという調査結果もある。朝日新聞は、「厳しい経済環境におかれた子は進学もままならず、貧困の再生産を招く。社会の分断を防ぐためにも早急な手当てが必要」とする。しかし、こどもとのコミュニケーションもとれず、教育方針について話し合う機会もないまま、カネだけ出してくれ、というのは都合が良すぎるのではないか。

また、こどもの視点でも最近23歳は要扶養者に該当しないという審判をもらったが、私は高等教育はすべて奨学金で賄い、大学のころは成績が優秀であったので学費自体が免除された。

離婚は、誰も望んで離婚したがるわけではなく、いわば「悪魔のくじ引き」と一緒だ。そして、別々に暮らせば生活費が非効率になるのは当然である。その非効率を誰が引き受けるかだ。

試案は、離婚に伴う問題と債務整理の弱者側であるものを区別せずにしている点で欠陥がある。特に、悪質な金貸し業者からの請求に罰則を伴う制裁など論外といわざるを得まい。

養育費の問題は、すべてを当事者間の問題として押しつけると解決が難しい。日弁連が提言した新算定表はその意味で妥当ではない。毎月20万円や30万円の養育費を支払っている人もいるのが実態で、高額所得者の元妻は不労所得に甘んじているケースもある。本来的には、離婚直後に関しては母子扶養手当を拡充する政策論の方が妥当である。現在、母子扶養手当は働くお母さんにこそ厳しい制度になっており本末転倒である。

養育費にかんしては女性側の視点が強調されるが手取り20万円の男性の場合、例えば、養育費が8万円の場合、家賃6万円、光熱費等1万円、食費3万円、保険料1万円、小遣い1万円で貯蓄もままならないことが分かる。そもそも男性に対する養育費の分担のさせ方に問題があるのではないか。

裁判の結果というが、それよりも上位法に「人間の尊厳」というものがあり、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するとの認識にたって立法作業を進める必要がある。

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