お役立ちコラム
中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律に規定する審判事件というものがあります。
これは、中小企業の代表者の死亡等に起因する経営の承継がその事業活動の継続に影響を及ぼさないようにするため、後継者が取得した株式等及び株式等以外の財産について遺留分を算定するための価額に算入しないなどの合意等をした場合について,これについての家庭裁判所の許可を受ける事件というものがあります。
すなわち、推定相続人は、その全員の合意により書面によって、後継者が旧代表者空取得した株式等につき、遺留分の民法の特例を受けられることになります。
法律効果としては、株式の価額を遺留分を算定するための財産の価額に算入しないこと、遺留分を算定するための財産の価額に算入すべき価額を合意の時における価額とすること-を発生させることができるということになります。これらの合意は、経済産業大臣が確認して、家裁の許可を受けたときにその効力を生じることになります。
また裁判官のわいせつ関係の不祥事が起きました。
以前も、大阪地裁の判事補が女性のスカートを盗撮した事件があり罷免判決を受けましたが,今度は、裁判官の高橋信慶判事(40)が、深夜,嫌がる女性司法修習生の頬にキスをしていたことが分かりました。
高橋裁判官は、複数回にわたり「キスがしたい」などと述べて嫌がる女性修習生に二度にわたってキスをしたとのことです。
しかし、この行為が行われたのは午前0時ころのそうです。
複数名とはいえ嫌がる女性修習生を飲み屋につれていき、挙げ句セクハラ行為をしたということでしょう。若い女性を深夜まで引き回すという、このこと自体が裁判官の異常体質を如実に表しているといえるでしょう。
また、この場には複数の人間がいたそうですが、裁判官にはモノを言えない修習生の悲哀を感じられます。そんなことで正義の担い手になれるのかとあえて厳しい言葉をいわざるを得ません。
当然のことながら、福岡高裁が戒告の懲戒処分とする決定をしました。
しかしながら,裁判官は,民事,刑事を問わず国民を裁く立場なのですから最も法律はもちろん道徳的である必要があると思います。
スカートの盗撮と嫌がる女性に無理矢理キスをするという高橋判事の行為は何が違うのでしょうか。分限裁判にかけられたらたまらないということで、早速依願退官したそうです。しかし,依願退官の前に公式に謝罪をする方がさきであると思います。
弁護士会も,おそらく弁護士になるであろう女性修習生にセクハラをして公式に謝罪もしない元・裁判官を安易に弁護士登録させるのはどうかと思います。
本件は,強制わいせつに該当する行為であり,先に罷免された盗撮よりも刑罰は重いのではないでしょうか。特に司法修習生の窮状が報じられている中での行為ですから,弱みにつけこむかの如き行為であり,女性の感情を傷付けるものであり,裁判所としても公式に謝罪を行うべきです。
控訴審から依頼を希望される方もいますが、名古屋高裁民事部の運用はおおむね以下のとおりです。
名古屋高裁で控訴をした場合でも、証人尋問が実子される件数は、1か部の平均で17件ほどのようです。このように数百件の控訴事件があるわけですが、なかなか証人尋問は実施されないということがあるようです。
裁判所からの情報では、欠席、病気などは認められやすいのですが、再度の人証申請については、争点が新たに出てきた、一審が十分ではなかったといった事情が必要ということに限られるということです。したがって、一審は審理が比較的充実している現況からみると、控訴審における人証の採用はなかなか困難を伴うということになるかと思います。
堀江貴文さんが、朝日新聞で碁打ちの本を紹介されていました。いそがしくて読めなかったので獄中で読めてケガの功名だったのかもしれません。
朝日新聞も共感するだろうけれども、堀江さんがいわれていたのは、これからはキュレーションが大事ということでした。分かりやすくいうと情報の道先案内人ということですね。昔から編集者がキュレーションの役割を果たしていたかと思いますが、よくもわるくも手垢がついていて、純粋なキュレーションではなかったように思います。本の探し方も、この本は私たちは探せなかったのですが堀江さんはどのように探したのですか、というようなことも、キュレーションが紹介していて、いくつかのキュレーションの紹介を試してみることが大事というようなことをいわれていました。
したがって、今後も「編集」作業的なものの価値はなくならないだろうと思いました。
さて、他方で、ひっそりですが、東京地判平成25年9月30日が、自炊代行について違法判決を出し、営業の差し止めまで認めましたので、今後は自炊代行というのはアンダーグランドな商売になるか、息の根を止められてしまうか、というようなところに来たのではないか、と思います。
判決の内容ですが、いわゆる出版社系の弁護士や学者が主張していた内容がほぼ認められているということで、定石どおりというか、予想どおりの判決だったという印象でした。誤解を恐れずにいうと、自炊行為をしている「主体」が、本の所有者か、自炊代行業者かで違法か適法が分かれる、というように簡単に説明してしまいます。
この判決は自炊代行業者が主体であるという認定に立っています。テレビ番組の録画に関する最高裁判決があるので、どちらかというとそちらに近づけて判断するだろうとは思っていましたが、少し滑稽なところもありました。つまり、自炊行為というのは、消費者が自分でやるのは無理という難しさが必要なのですが、法科大学院の学生は自炊行為をたくさんしていますし、司法修習生は資料収集生と揶揄されるくらいで自炊行為もたくさんしているでしょう。
個人的にも裁断機とスキャナがあればできるから、代行業者に頼まないとできないというこの判決の論理には「?」と感じるところがありました。また、この問題を書くにあたって、学者の論文もみましたが、論理の飛躍が2段くらいあって、少しここまで露骨に・・・と思ってしまったというのが感想です。
ところで、堀江さんがいわれたキュレーションからいうと、知識は知識だけでは役に立たず、組み合わせたり、場面に応じて即して使ったり、しないといけなくて、知識が膨大なだけでは、整理が行き届いていない図書館と同じになってしまうと思っています。
そういう意味では自炊代行というのは、「捨てられない人」のための救世主だったわけですが、今日蔵書数を競っても意味がないよ、という価値判断があるような気もします。
ただ、個人的に思いますが、音楽の場合は、昔はCDをMDプレーヤーに移すという作業が必要でしたが、これは結構簡単でした。ところが、ハードディスク型のウォークマンが流行り出すと、いちいちパソコンに取り込む作業が必要となり、音楽のデータも重たいので、パソコンの動きが悪くなり、数時間かけてウォークマンに移していて、とても時間がかかると思った記憶があります。現在は、iPhoneで購入してしまいますので、こうした面倒な手続は必要になっています。
本も一緒ではないかな、と思います。本は、音楽と違うウォークマンのようなものがありませんから、編集して残しておくということをされる人は少ないと思います。しかし、本はかなりのスペースをとりますので、民家では邪魔になると思います。そういう意味では自炊代行にも一定の意味があるのかなと思います。堀江さんは、同じ本は二度と読まないといっていましたが、僕は同じ本は二度読みますが、つまらない本はなるべくすぐに捨てるように心掛けています。
時間もないし、スペースもないし、というところでしょうか。
もう一つ、この判決に勝者はいるのか、ということです。自炊代行業が実質廃業に追い込まれたと思いますが、自炊代行してまで本を持ちたいというのは結構コアな本好きではないかなと思います。はからずとも愛読者を敵にまわしてしまったという面は否めないでしょう。
また、音楽市場においてCDが全く売れなくなっているように、今後書籍においてもこの動きは出てくるでしょう。書籍は学芸の意味のあるので嗜好品のCDとは異なる面もあるかもしれませんが、現在の音楽業界が、「CDが売れないのは違法コピーのせい」という主張には疑問を感じます。
かつて音楽会社を経営したリチャード・ブランソンの言葉が卓越していると思いました。引用は正確ではありませんが、いわく、昔は良いアーチストもレコード会社が発掘しないと世の中に出ることができなかった。しかしながら、今はネット配信を使えば、レコード会社に発掘されなくても出ていくことができ、配信を見た人からのフィードバックでチャンスを得られるようになった、そういう意味ではレコード会社の役割は終わった、というような趣旨をいわれていました。
また、ツイッターのリツイート機能があるように、他の人の意見を紹介して拡散するようなことが定着してきた今、著作権で自分の著作物について他人の利用を認めないという排他的感が時代に取り残されている感じがします。
名古屋駅ヒラソル法律事務所では、名古屋商工会議所の名古屋市内及びその周辺部の養護施設の児童・生徒に対してクリスマス・プレゼントとして受託金を送る事業に賛同して、寄付を行いました。
ひとつひとつは小さな力ですが、それが集まることで大きな力となり、養護施設の児童・生徒さんが力強く社会に巣立つ一助となれば幸いに存じます。
昨日13日の記事で、朝日新聞が、日本政府が従軍慰安婦問題について、韓国以外の東南アジアの一部の国において、それが顕在化しないようにするという措置を講じていたというスクープを行いました。
久しぶりに「うん?」と目が覚めるようなスクープ記事でした。この記事は、今のところ、他の新聞社は韓国新聞社も含めて後追いはないようですが、インパクトが出てくるだろうと思います。
それが大局的な日本の国益に適うかは別として、スクープは公益目的であるし国民の知る権利に応える見事なものだと思いました。特に、当時の各国の責任者に実名インタビューをしている、というところまで掘り下げていて、内容も十分調べ上げられたものであったと思います。
そして社説も掲載。私は、ここで野田政権が韓国側と政治決着を模索していたことも知りましたが、野田政権にしても当時の李政権にしても、レームタッグ化が進んでいたこともあり、政治決着ができたはずだ、という民主党の元官房副長官のインタビューには少し疑問を抱きました。なので、野田さんが首相を続けていれば、政治決着が図れたはずだ、とまではいえないのではないか、と思います。
たしかに隣国同士なので、仲良くするのは良いと思いますが、社説のタイトルは再考の余地があるのではないか、あまりに情緒的であると思います。また、韓国は、日本の立場を陥れるために世界各地で、ジャパン・パッシングのロビー活動を展開しています。
物事には、相手があることなのですから、相手が現在決着をするつもりがないことについて、こちらが物事を強要することはできません。
逆に、朝日新聞が、政治決着の内容まですっぱ抜いてしまったので、同じ条件での和解、政治決着というのは難しくなったといえるかもしれません。
いずれにしても、国際関係論からいえば、明らかに日本の利益にはならない報道ですが、かえって和解の機運も遠のいたという感じもあります。記事自体には高評価をつけたいですが、それが両国の関係に円満が結果をもたらすかというと、答えは否となるだろうと思います。
今後、韓国は自分の立場性が正しいと確信して、東南アジアに対するロビー活動を強めることを招く結果となるものだ、と考えます。報道自体が目的化をしてしまっている、という感じがしています。また、自社の週刊朝日の編集長がセクハラで解雇処分になったことはどこにも記事が見当たりませんでした。まず、先ず隗より始めよで、自社のセクハラ体質についての改善についての報告が聴きたいです。そこを調べない会社にこのイシューに取り組む社会的資格があるのか、国民は見ているのではないでしょうか。
最近、フェイスブック、ツイッター、ブログが盛んに利用されています。以前と違うのは、実名が原則であるインターネットメディアが多くなってきており、匿名性・閉鎖性が受けていたミクシィは退潮したように思います。
これらは、ウェブサイトと違い更新が容易である、という点が特徴であり、一瞬でユーザーに公開されます。その更新・投稿の容易さは、早いというメリットを生んでいますが、推敲が足りなかったり場違いであったりする投稿が散見されるように思います。
特に、企業の代表者名義のブログなどは、私的なものとして開設したつもりであっても、企業とは切り離してみられません。最近は従業員についても同じであるので、飲食店での閉店のニュースを聴くと、かなりリスクがあるように思います。
テレビのコメンテーターの意見は、公私混同している発信者のミスという受け止めが多いようですが、私は、2つの観点を感じます。
第一は、本来プライバシーの空間にパブリックが入り込んでいるということです。
例えば大学生のAさんがフェイスブックで自分の思うところを書き綴ったとしても、おそらく見てくれるのは友達だけだと思います。それくらい反応は悪いというのが一般的にやっている人の感覚ではないかな、と思います。
以前のブログは顕著でしたが、これはフェイスブックで匿名Aさんから山田太郎さんになっても同じことではないか、と思います。
ところが、その空間を全く関係のない人がいわば「のぞきみる」ことができるようになったと捉え直すことができるように思います。ですから、いたずら行為をした人を擁護するわけではないですが、本来内輪の中に、「外」が持ち込まれたというところに問題があるだろうと思います。
コメンテーターがいうように、全世界の人が見ていると思って発信しろ、というのは、間違いだろうと思います。それほど、全世界の人は山田太郎さんのブログには関心がないと思います。
同時期にビックデータの売買が報道されるようになったのは、同じ観点でとらえられるだろうと思います。JR東日本が乗客の個人情報を抽象化して特定できないようにして、企業に販売するというものです。おおむねマーケティングのデータとして使う目的だ、と思います。
しかし、そもそもプライバシーを扱うとは思えない鉄道会社が乗客の「男性・22歳・埼玉在住・会社員」みたいな形でデータが売られるのですが、いつかの個人名簿の売買と何が異なるのか、といわれると、「ビッグ」である点が違うということになるのでしょうか。フランスではGoogleに対してこうしたビッグデータのつなぎあわせでプライバシーが侵害されると規定を見直すよう勧告をしましたが、Googleはこれを拒否しました。ヨーロッパではナチスの経験からパブリックによる個人情報の管理に抵抗感が強いことも背景にありそうです。
本来は、プライバシーとして扱われることが、公に開かれてしまうというところが問題なのだろうと思います。そう考えると、リテラシーが低い人はミクシィの方が安全ということになります。なので、もう少しプライバシーに配慮したツールとして「日本的」なアレンジが必要なのではないか、と感じます。
二番目は日本人と欧米人の考え方の違いです。
欧米人はキリスト教に代表されるように絶対的な神というものがいますので、神と自分が向かい合うという関係にいます。そして、人間は生まれながら罪を背負っており贖罪のために清く生きるというのが趣旨ではないか、と思います。そうすると、絶対的な自分というものを発信するので、「他人からどう見られるか」「他人からどう評価されるか」ということについても、自分のオピニオンの方が優先される、と思います。
なので、ツイッターでもフェイスブックでも、実名であっても、絶対的な自分はこうである、という発想があるから、社会的なつながりとしてのツールとして適当なのだ、と思います。
ところが、日本は「空気を読む」という文化があります。八百万の神といわれるくらい神様も多く、価値は相対的な文化です。また、韓国の新聞などを読むと、「日本がこうなった」「あの国がうらやましい」という記事が羅列されています。私はこういう記事をみると、他者との比較が重要と思うのが東アジアでは一般的なのだなあ、と思います。
つまり、欧米人というのは、神というのが自分の向かいにいるので、ある意味では自制を働くことになるし、絶対的な自分に基づいた行動であれば仕方がありませんね、それはモラルの問題ではなく法の適用というレベルで考えましょうということになります。そして、法を適用するほどでもない行為というのはあまり取り上げられないという結果になるのではないかと推測します。欧米は人種の坩堝であり、エビデンスを示さないと誰も納得しない、というような社会です。ですから、軽微なことで、いちゃもんをつけるというのは論争になります。ニューヨークで、下着が見えるように歩く若者のファッションに対して、市長が「誰も他人のパンツなんてみたくない」と発言したことに代表されるかな、と思います。
これに対して、日本人は、多かれ少なかれグループの中に所属して生きているところ、行動規範というのは、自分の所属しているグループとの関係で相対的に決まる脆い価値観で生きている、というのが普通ではないかと思います。なので、自分が所属しているグループが、カウンターカルチャー的で法令遵守はあまり厳格に考えないという場合、ついついこういう軽率な行動を招きがちなのではないかと思います。
とはいうものの、もともとは、いたずらをするということは、あそび心からでしょうから、そういうところからクリエイティブは生まれるので、何ともまとめにくいような気がします。しかし、行動規範が、相対的で脆いから軽率な行動を招きやすい、というのは欧米社会との対比ではあり得るのではないか、と考えます。
そういう意味では、日本で、フェイスブックやツイッターというのが、ソーシャル・ネットワークとして適切なのか、分かりにくくなっていると思います。最近、裁判所でもSNSの取扱についてなる文書が配布され、事実上取り扱わないようにというような趣旨であったということを聴きました。いくつかおもしろいブログもあったのですが閉鎖されてしまいました。まあ、男性が書くブログなどはどうしても仕事から得た雑感を交えながら書く、というのが普通じゃないか、と思いますので、仕事に関連した内容が含まれてしまうことは仕方がない面もあります。
価値観が相対的で、あいまいであると境界性もぼけやすいのですが、「全面禁止」とするとプラスの面も活かせません。したがって、企業が従業員に指導する場合であっても、何が良くて何が良くないのか、ありていにいれば「予測可能性」が立つように要件明確化をはかるべきじゃないかと考えています。
ホームページ制作会社の詐欺的商法によるクレジット契約は無効であるとして、美容院を経営する女性がセディナに対して支払済み代金54万円の返還を求めたところ、契約を無効としたうえで、全額の返還を命じた判決が出されました(京都地判平成25年7月30日)。
ホームページ会社が代金の使用にクレジット会社による立て替え払いを利用する際は、契約書などのチェックを慎重に行う必要があります。ホームページ制作会社、あるいは、制作会社に対するトラブルも散見されます。お困りの際は、まずはご相談ください。
セディナとの間の立替契約に関する意思表示は、表示がCDROM購入代金のクレジット契約の申し込み、内心の意思がホームページ制作代金のクレジット契約の申し込みとの間に不一致があるので、同不一致は要素に関する錯誤に該当するから民法95条により無効である。残債務108万円の支払義務は認められず既払いの54万円の返還を求めることができるとしました。セディナからは「重大な過失がある」との主張がなされましたが、担当者ですら加盟店の行動に疑問を持たなかった点で顧客と変わりがないとされて、民法95条の適用が認められました。
本件についてのポイントは、ホームページ制作会社がホームページを制作したものと思われますが、代金決済について商品を販売したという名目で立て替え払いを受けたという特殊な事情があるのではないかと考えられます。したがって、当該判例によってクレジット契約一般が無効になるということにはならないと思いますが、あくまでもホームページ制作料を主に据えて立て替え払いを受けている必要がある、という当たり前のことをしていなかった、という事案ではないか、と考えられます。
最近は、医療の分野にとどまらず、法律事務においてもセカンドオピニオンを求められる方が増えています。
例えば悪性腫瘍のために足の切断をすすめられたときに、3件ほど病院を廻ったもののすべて切断をすすめられましたが、一つの病院は生命の危険は高まるが切断しないで治療する方法がある、という話しを聴いたことがあります。もちろん生命の危険は高まるのですが、その子は空手をやっていましたから、足を切断してしまえば生きがいを失うことにもなってしまうでしょう。その子は迷わずリスクの高い、足を切断しない治療方法を選択しました。
さて、法律相談においてもセカンドオピニオンをとることは重要であると思います。しかしながら、注意しておきたいのは受けるつもりがない弁護士というのは、ある程度期待値の高いことをいいがちだ、ということです。
上記の医師の場合はリスクの高い治療を自ら施さないといけないわけなので期待値が高い意見を述べればその患者はやってきますから無責任なことはいえません。
ですが、セカンドオピニオンの弁護士は往々にして「評論家」になりがちです。そして既に受任している弁護士の事務処理に口を出して信頼関係にヒビをいれるだけいれておいて、自分は受任して責任はとらない、そういう無責任なセカンドオピニオンも増えていると思います。
個人的には、セカンドオピニオンをとられる場合は、事件処理について不安を抱えているということでしょうから、無料の相談は利用せず、またポイントについて書面を作成してくれる、仮に期待値が高いことをいってくれる場合、あなたであれば受任してくれるのかどうか、というのを率直に尋ねた方が良いのではないか、と思います。
私の事務所でのセカンドオピニオンのご相談も受けておりますが、こうした相談は弁護士の事務処理の合理性をみるものということになりますので有償を原則とさせていただいております。
最近、私が依頼を受けている案件について、依頼者の方がセカンドオピニオンを求めに他の法律事務所にいかれたことがありました。興味本位なのでしょうがその弁護士は委任契約書をみて、法律相談を終了した後に、郵送するように求めた弁護士がいました。その後、相談者に対しては何の連絡もとっていません。
しかしながら、法律相談の趣旨・目的から委任契約の内容を確認することはあるでしょうが、コピーの交付を求めたり、法律相談の趣旨・目的から外れた行為といわざるを得ないと思います。目的外利用のために交付を求めたことはほぼ間違いないだろうと思いました。
そして、その後、その事務所の弁護士が、連絡をとってきて、事件に介入するような言動をしてきました。私が、「では、あなたが手術をされますか」というと、「私たちはしない」ものの、暗に事件に介入して金銭を要求するような言動をしてきました。法令以前に、「人間として常に何が正しいか」という観点から判断いたしますと応じかねる内容でしたので、当然ですがお断りいたしました。
残念ですが、古くからの人権派を標榜していたり労働者の味方を標榜している事務所の弁護士でしたが、弁護士の場合は歴史があれば良いというものではありませんね。人間というのは、日々心を尽くし精進していなければ堕落していくものだな、と改めて感じました。弁護士会の役員を務めたことのある人物ですが諸行無常を感じました。
私は、医師のように逃げずに自分で手術を担当する責任感をもって意見を述べております。
それがセカンドオピニオンの目的と考えています。
私は、そういうことがありましたよ、と依頼者に伝えて、大変後悔しているようでした。聴き取りをしたところ、その悪徳弁護士は、常に腕組みをして怒鳴りつけるようなことで、「それはそうかもしれない」「そんなことはしらない」と断定口調で、かつ、有益なアドバイスもなかったと本人は受け止めているようでした。そして、40分の相談で最初15000円の顧問契約書を持ってこられたと受け止めていました。結果的には10000円の相談料になったそうですが、40分の労働相談で10000円というのも高いと思います。
セカンドオピニオンも大事ですが、悪徳弁護士にセカンドオピニオンを頼むと、結果、既に依頼をしている弁護士との関係に困惑が生じるだけに終わったということがありますから、まずご要望があるのであれば率直に受任弁護士に伝えるのが良いのではないか、と思います。
同友会の例会作りのテーマが「ビジョン」ですが、それは「中期経営計画」との強く結びつくものです。
中期経営計画自体の必要性自体が議論されるところもあると思いますが、私は、中期経営計画には早期実現効果があると考えています。
例えばAを3年で実現しようというように計画したとき、当初の目標の3年ではなく1年で実現することがありますし、かえって遅れても5年で実現するという実践を確実に行うという効果が生じると思います。
中期経営計画は、ある意味では、外部環境の予想もできない状況で作られるわけですから仮説にとどまりますので、その後はPDCAサイクルの中で柔軟に見直しを図ることが重要といえます。
ところで、中期経営計画は、毎年見直すことになります。これをローリングといいます。これに対して見直さないというフィックスというものもあります。
しかし、外部環境の変化は見逃せませんのでPDCAサイクルを回すのは仕方がないと思います。この場合は、「どうせ毎年見直すのであるから2年目以降はいい加減で良い」というようなことにならないようにすることです。たしかに、中期経営計画は「たられば」を重ね合わせても現実味がないという面が出てきています。
そういう意味では、中期経営計画は策定したが、途中見直しが許されないフィロソフィとして「ビジョン」が存在するというように整理することができると思います。