お役立ちコラム
さて,師走となり,おいそがしい方,おちついてこられた方,さまざまだと思いますが,いかがおすごしでしょうか。
先般,東京で複数の打ち合わせをした後,久しぶりにベートーベンの第9を演奏を聴きにNHKホールまで行きました。N響で,エド・デ・ワールトという方が指揮者でした。
第9というのは,最初は絶望や怒りが描かれ、それらの感情は穏やかになり美しい旋律の楽章となります。怒りなどは忘れられ,歓喜の歌に流れていく,彼の楽曲はそういうストーリー性をも人々をひきつける魅力なのだろうと思いました。
ちなみに,理想の世界を歌う「歓喜の歌」ですが、原題には,深い安堵感という意味(”Freude’)もあるのだそうです。深い安堵感,それはすなわち,地球全体の平和への安堵感が得られる日々が得られるようにという彼の祈りなのかもしれません。
東日本,フィリピン,そしてみなさんの中にも試練を迎えられている方,自分も含めてですが,第9というのは,平和や平穏を求める気持ちを抱かされます。今後も苦しむ方がいれば,助けたいという気持ちが芽生え,それが社会で共有される社会,それが一定において実現している日本だからこそ,この楽曲は日本中で好まれ演奏されるのかもしれません。
今年も様々な出来事がありましたが,相手の立場を思いやり優しい社会となり,人々が「安堵感」をもって新年を迎えられますように,心を尽くしてお祈りいたします。
建築関係の方からは「いそがしい」という声が聞こえてきます。当事務所でも,そこから派生する案件を取り扱うことがあります。同友会景況調査によりますと,業況判断は,1994年の調査開始以来2番目の高さを誇るそうです。
その理由として建設業は20年の中で,最大の活況を迎えています。このため,資材,労務費も高騰し,人材難で仕事が廻らない,といったご相談もあります。特に建設関係では,活況なようで,売上超過,在庫の縮小,取引条件好転,建設業で設備不足が伝えられるといった状況です。ただし,サービス業はあまりこの恩恵には与れていないと報告されています。
当然のことながら,復興増税が行われ,それに負担を感じる中での消費税増税。中小企業にとっては,最大の活況後の揺り戻しの不況に懸念を持つ方が多いようです。
いずれにしても,今が活況の業種のみなさん。全力で頑張り抜いてほしいです!
平成25年最後の名古屋第一青年同友会の12月例会が,私たちのチームである大崎室の主催で開かれました。
目的は,経営理念及び行動指針までは策定できるものの,ビジョンを描きそれを数字に落とし込んでいく,あるいは数字からビジョンを描いていくということになりましょうか,それが,なかなか難しいということで,実践されている斉藤さん,佐藤さんという方を講師にグループディスカッションにも参加させていただきました。
印象としては金融機関対策だけではなく,中期経営計画(組織+Will)ですね。これを実践されている会員さんの方が多いように思いました。ビジョンの実現のためにはフィロソフィが必要になるでしょうし,環境を分析し,それに基づいて実行していくというスタンスが大事だと思います。
講師をされた佐藤さんは,以前,室が同じで親しくさせてもらっておりましたが,その夢を語る佐藤さんが税理士さんから,「夢ばかりをみないで足下をみてください」といわれたというような話も事前のヒヤリングでは出ました。
また,チェックが難しいというようなご指摘もいただきました。税理士さんもそうですが,当事務所でも,経営計画進捗チェックなども承れます。是非,お気軽にご相談ください。
年の瀬が迫って参りましたが,ご身体ご自愛ください。
私は,参加できなかったのですが,私が委員を務めます交通事故相談センターと裁判所との懇談会が開催されました。
今回は事例をもうけてよく議論されるテーマについて意見交換を行ったようです。
被害者が研究者のように特定の職種を事故の結果閉ざされた場合,普通の職種で働ける場合をどのように評価するか,労働能力喪失をどのように判断するかは損害論としては関心があるところのように思います。
この点,減収がないのであれば,慰藉症の増額理由にしかならないという見解と,12級の等級を認め,14パーセントの労働能力喪失を認めることが妥当との見解もあるようです。
もっとも,裁判所のスタンスは,給与が減る確率がどれくらい高いのか,という立証ができたかどうかにあるように思います。
また,バックブザーが鳴る自動車が最近多いですが,これを無視して横切った負傷者である被害者に過失相殺が認められるかという点も議論になったようですが,概ね歩行者に過失を認めるという方向性は一致をみたようです。ただし,歩道のケースが多いと思いますので,大半の過失は運転手の側にあるとされてしまうでしょう。
裁判所は,被害の実情や実態に応じて判断する基本スタンスは崩さない立場であったということのようです。この場合でいえば,減収の確率が高いことの立証ができるかですね。
例えば、会社役員の場合,交通事故に遭っても表面的には減収がないケースが多いですが,会社に対する委任事務を処理できないという点で,会社に対して損害賠償義務を負いますので,この部分につき逸失利益として,休業損害を請求することができます。
年末に向けて自動車を運転する機会が増えるかと思いますが,安全運転,安心運転でお願いいたします。
お客様は神様という考え方があります。もちろんすべての業種は,社会貢献を理念として事業を行い,京セラのようにフィロソフィという行動規範を制定しているところもあります。
私たちは,お客様に仕事をさせていただいている-この広告を京都出張の度,目に止めます。
そのような考え方も一つでしょう。しかし,業態の中では,理不尽なお客様もいらっしゃることも事実です。私たちは,そうした顧客がクレームを述べているのであれば逃げないで,誠実に報告するなどのアクションをとることをすすめます。
しかし,法律上,私たちには,顧客に「二度と来ないで下さい」というようにお願いする権利があるとされています。顧客は大切にしなければなりません。しかし,理不尽な顧客への対応のために他のお客様へのサービスが低下するということが起こる可能性があります。また,社内の雰囲気も悪くなってしまう可能性もあるかもしれません。
理不尽なお客様がいると従業員の離職理由につながったり,他の顧客からの苦情の原因になる可能性があります。
こうしたとき,顧問弁護士にご相談いただければ,丁寧に,しかしながら毅然と,「NO」と伝えられることもできます。
また,クレームの対応についても同じことがいえます。クレームの対応は逃げないこと,傾聴,報告をするために動くということが大事です。そのうえで,社会通念上期待される行動をとったと堂々とすることが大事です。こうした問題についても,顧問弁護士に対応を委ねることができるようになります。もちろん,社会貢献を理念として,クレームに向かい合わない場合は困りますが,中には困ったという方もおられるのではないでしょうか。
今般,名古屋市の医療安全協議会と協議の機会を持ちましたが,最終的に苦情を公的機関に持って行く業種であればともかく,今後の業務妨害につながることもあります。
こうしたことはインターネット上での誹謗中傷につながることもあります。
こうしたとき,すぐに相談先を設けておきたいという場合は,当事務所の顧問弁護士にご相談ください。
大分地判平成25年10月23日は,振り込め詐欺事件の現金送付先として使用された私設私書箱の管理会社の「代表者」に対して,不法行為に基づく損害賠償義務を肯定しました。
この点は,取締役の個人責任が肯定されたものと考えられます。
70歳代女性の振り込め詐欺で被害額は1000万円であったそうですが,その郵送先が件の私設私書箱だったようです。
被告は,会社の業務として私設私書箱サービスを営んでいただけと主張しました。もっとも,最近は,このようなワークスペースのシェアハウスは流行っていますから,気をつける必要がありそうです。
さて,被告は,会社の業務として行ったにすぎないと主張しましたが,判決では共謀まで認定されてしまい,組織的,継続的にいわゆる振り込め詐欺を行ってきたことは優に推認できるとして,被告に対して,全額の1000万円の支払を命じたとのことです。
この点,私設私書箱会社の代表者自身が振り込め詐欺の犯人であれば自業自得なのかもしれませんが,利用目的については注意をしておかないと,犯罪を一緒にやっている,これを法律用語で「共謀」といいますが,共謀があるといわれてしまうかもしれないということになります。
ワーキングスペースのシェアをやっている事業では,管理も重要であることを示唆する判決といえます。
大阪地判平成25年10月21日は,高齢の女性に対して,投資信託取引に勧誘したことは適合性原則に違反するとして,損害賠償責任を認めました。
この商品自体は,それほど投機性の高い商品ではないとしましたが,原告の症状及び診断内容(認知症),介護状況等に関する詳細な事実認定をしているそうです。やはり,認知症というだけでは,簡単には適合性原則違反となるわけではなく,原告側には十分な立証が求められるといえそうです。
そのうえで,評価額と購入代金の差額を損害と認めて,損害賠償責任を肯定したという判決のことになります。
この判決は,一般に財産管理能力につき女性78歳につき問題があると示したという点において,射程距離,つまり影響力の大きい判決ではないかと考えます。応用分野も証券問題にとどまらないように思います。
また,損害の算定の仕方としても,投資信託を現在も保有していることから,キャピタルロスの部分の差額を損害と認めたという点でも,損害賠償論としても興味深い論点を含むように思います。
なお,過失相殺は行われていないとのことです。
幸田露伴。
五重塔、風流仏などの小説が有名です。
小説家としてのイメージが強いのですが,漢文や仏教にも造形が深かったそうです。
彼の努力論で,いくつか新鮮な指摘がありました。
有時性の散乱心と無時性の散乱心。
心が乱れるのはよくないことですが,今日は法律、明日は医学、明後日は文学というようにころころと短期スパンで集中することが変わることのようです。といっても現代教育の多くは,有時性の散乱心でできあがっているような気がします。
過程の短縮を目指せ。
どんな職業でも真に社会のために役立とうとするのであれば,過程の短縮というのは目標としなえればならないのです。ところが,露伴は,お役所仕事というのは、過程の短縮という観念が非常に乏しく,世の中の人が役所に行くのを嫌がるのは事務の過程を短縮しようという意識にまったく欠けた公務員たちと接するのが苦痛だからだ,と綴っています。突き詰めると,役人は真に社会のために役立とうとする意識を持っているのか疑問だということです。私も,保全で緊急性を要するのに,細かい指摘に丁寧にお答えしていたものの,「今日は午後5時すぎましたから。明日。」といわれて,主任書記官に抗議したことがありました。結局,5分もあれば書ける決定なのでその場で出してもらいました。私が,遺憾に思った根底の気持ちは,露伴のこの言葉だったのかもしれないと思います。
露伴は、過程の短縮を心がけない者は必ず落伍者になる、と断言しますが,何となく,公務員は「自分の仕事がなくなる恐怖」に怯えているような感じがします。そのため,明日に廻せる仕事は先送りにして,明日に仕事をとっておく。何の生産性もありませんが,おそらく露伴がいう過程短縮を図れば公務員はおよそ30パーセントは減らせるだからでしょう。
高度経済成長期にはパイの分配が重要であったからこそ公務員が重要であったかもしれませんが,不況期には過程を省略してパイを増やす活動にこそ人材を活用するべきだと思います。
感情は私有物ではない。
この言葉、幸田露伴の努力論に出てくるが,どのように感じるでしょうか。
月並みな反応としては「思想良心の自由」「表現の自由」があるのに、感情が「公共物」であるとは何ごとだ,という声が聞こえてきます。しかし,私は,彼らに「自由になった後,何をするかが重要だが,何をするのか」と尋ねると,答えを持ち合わせていない人が多すぎるような気がします。
そういう意味で,憲法で思想良心の自由、表現の自由が保障されつつも、感情は私有物ではない,というのは勇気ある論陣だと思いました。いわく感情を個人の所有物とばかり考えると,自分の感情ばかりを主張するばかりとなってしまい、自分の感情を向上させたり純化させたりしようと思わなくなる。それは果たしてあるべき姿なのか。公正円満な感情の前には,偏屈で粗雑な感情は投げ捨てるしかない。
それは,当事務所がかかげる経営理念・クレドといったフィロソフィにもつながるものではないかと思います。思い返せば,小中学生時代は,思想良心の自由があるという勉強はした記憶がありますが,フィロソフィについて考える授業があれば,「自由」「自由」とさけぶ前に自分のやりたいことを早く定められたんじゃないか,そう考えてしまいます。
そういう意味では,目が覚める記述でした。
露伴はこうもいいます。
感情にも,教養と訓練が必要である。
名古屋駅ヒラソル法律事務所は,NPO法人子どもセンターパオの自立援助ホームの拡充を応援しています。
NPO法人子どもセンターパオは,必要な支援をしたり,行き場所のない子どもたちに対する居場所作りをしています。
今回は、就労をする必要がない自立援助ホームの拡充のために寄付を募っているようです。
自分も,母子家庭として,多くの悩みを抱えた友人たちをみてきましたし,弁護士登録後は,少年事件に力をいれてきました。「ぱお」は女性専用ということで,なかなか数が多い男性のための施設にも取り組んで欲しいと想い,名古屋駅ヒラソル法律事務所として寄付をさせていただきました。
ひとつひとつの力は小さいでしょうが,力を合わせ,心を合わせひとり親あるいは親を亡くされた方,虐待などのハンディを持っている方が,公正な条件の下で社会において,かげがいのない個人のために生きることができる,そういう社会の一助となる活動であると考えます。