お役立ちコラム
先般、ボストンとニューヨークを訪問しましたが、とりたてて何かというわけではありませんでしたが、ニューヨークでは久しぶりに紀伊国屋に行きました。
ただ、現在は工事中のようで、公園の脇にある紀伊国屋という印象とは違っていたようです。
さて、そんなアメリカではドラゴンボールが、2000年を過ぎて、2010年くらいまでの間にリバイバルブームが起きました。
日本では連載もアニメも終わり、「オワコン」だったドラゴンボールは、アメリカでは実写化されるほどの人気があったのだ、そうです。
少し意外に思ったのは、女性にも人気の高いトランクス。未来からきたトランクスはどこか寂しげです。そして、プライドが高いような孤高の印象があります。
トランクスの父であるベジータは殺されてしまい、母子家庭で育ちコミックスでは孫御飯が、父親代わりの役回りをしますがそんな彼も殺されてしまいます。
他方、現在のちびトランクスは、どちらかというと天真爛漫な印象で、かつ、なんだかんだ父・ベジータと一緒に修行をしていた、など、環境が変われば人間の性格も変わるという前提で設定されていることに気付いたのですが、ドラゴンボールはそういうところには無頓着と思っていたのですが、意外と発達心理を踏まえているのだなあと感心しました。
アメリカでは、ベジータ人気が強く悟空はあまり人気がありません。やはり、悟空の甘さやリラックスさが、アメリカではベジータの方が受け入れやすいとなるのでしょう。
今般公開された映画も「悟空の甘さ」がテーマだったような気がします。
しかし、私は、どちらかといえば、というか日本ではベジータが好き!という人は少ないような気がします。もともと悪役のイメージが強いのと悟空に負けて悔しいというのが彼の原動力のように思えるからです。ある弁護士は「人間の価値は慈悲深さで決まる」といった人がいましたが、私も悟空から慈悲深さをとったらベジータになってしまうのではないかと思います。また、精神と時の部屋があるように禅宗の影響を受けていると思われる世界観で、悟空は、自分は自分、というスタイルが確立して、誰かと比較して悔しいというよりも、自分の心持ちをしっかり持つことを大事にしている点で、みなに安心感を与える存在なんじゃないか、と思いました。
ドラゴンボールは続編がスタートするそうですが、悟空のよさは、あってほしいし、悟天などにもそういった点は引き継いで行って欲しいなと思います。
詐欺会社が、別人名義で電話回線のレンタル契約をする、いわゆる「場所貸し」サービスは、いろいろな類型があると思います。
そんな中で、別人名義で、電話回線のレンタルをしてしまった電話代行・秘書サービスに責任はあるのでしょうか。
さいたま地裁平成27年5月12日判決によれば、電話回線レンタル業者が「免許証の写し」しか確認しておらず、しかも免許証の写真と申込みをした者を対照していなかった点で、本人確認義務違反があったとされました。そして、詐欺業者との共同不法行為が認められてしまいました。判決は、本人確認を怠った電話回線が詐欺行為に利用されることは容易に予見できるとして、被害者に対する詐欺会社との共同不法行為責任を認めています。
しかし、このケースは、オレオレ詐欺のように、電話を主たる要素として、加害行為が成立する場合に限られると思いますから、その射程距離はあまり長くないように解すべきように思われます。例えば、一般の連絡手段として、電話会社が責任を負うべきとされれば、電話会社の事業リスクが高まりかねないと考えられるからと思われます。他方、こうしたベンチャーは、あまり本人確認を厳しくすると、事業上、直接電話回線会社(NTT)と契約すれば足りるとされてしまう可能性もあるように思われます。本件では、免許証の原本を確認しなかった点、本人対照をしていなかった点がポイントであると思われ、たしかに免許証であるのにコピーしか持参できない人は怪しいと思われます。
こうした実務上の参考やまた、免許証などの本人確認のあり方について参考になる裁判例であると思われます。
医療機関債というと、ききなれませんが、有価証券ではなくあくまで医療法人との間の金銭消費貸借であるとされています。したがって、医療法人が破産すれば全損のリスクがありますし、償還日前は換金はできない等、流動性に乏しい資産といえます。
といっても、社債とパラレルに考えることができると解されますが、償還目途がないこと、発行要領も虚偽、使用目的は赤字補てんや遊興費にあてられていたというものです。
この点、代表理事の代表者としての責任が問題となりましたが、東京地裁平成27年3月27日は、医療機関債の発行中止などの措置をとらなかった点で過失があるとして、医療機関債の発行及び勧誘について、他の被告らと共同不法行為責任を負うとして、客観的共同があるとして、共同不法行為責任を認めています。
こうした点をみると、社債の発行は取締役会の決議事項とされていることが多いと解されますが、代表理事自体の監視義務も存在し、必要に応じて発行中止の措置をとる注意義務を認めた点に意義があります。医療法人は、株式会社とは異なるものの、他の社会福祉法人などの非営利法人のみならず株式会社の代表取締役にも、妥当する可能性があるものであると解されます。
最近案件で、CPA、CPR、DC、AED、VF、DNRといった用語が飛び交っています。
いずれも、医療用語で、現在、病棟での心停止や心室細動など超急性期からのリカバリーが適切であったかの検討を進めています。
具体的な案件には触れませんが、心臓マッサージというのは30分以上続けることもあるのですね。結構一般的なことなそうです。
もっとも、テレビなどでは、あまり、30分以上も心臓マッサージを行うということはなく、DC(除細動器)を使って早急に蘇生させてしまうことが多いような印象でした。
朝日新聞でも30分以上、経過した事例が報告されていました。しかし、約10分心肺停止が続くと低酸素脳症となり社会復帰が困難となりますが、低温度療法を受けたために、朝日新聞が報じた患者は後遺症が全く残らなかった奇跡!が起こったようです。しかし、最近は入院する場合に、DNR、つまり尊厳を保持するため、蘇生や自発呼吸困難な場合の呼吸管理を拒否するというDNRの意思表示をするか否か、ということも聴いているようで、病棟にもよりますが、急変時に自分がどうありたいか、ということは、なかなか難しいですね。
違法な商品先物取引に基づく損害賠償請求権の時効の起算点は、取引終了時であるのか、取引が違法な商品先物取引による損失による被害である可能性が指摘された時点であるのかが、争点となる事案がありました。民法では、被害と加害者を知る必要がありますが、取引終了時は仕切りをして、その会社と縁を切ったわけですから被害を知ったとみることも立論としては可能なところと思われます。
しかし、仕切りをしただけで、知っていたとするのは無理があるように思われます。そこで名古屋高裁平成25年2月27日は、弁護士から、本件取引が違法な商品先物取引による損失による被害である可能性がある旨指摘された時点が不法行為の消滅時効の起算点とされたものとのことです(最判平成26年10月28日)。
もっとも、損失が出て不信感から仕切りをする方も多いので、時効の起算点は個々の事案の事実認定の問題ですから、仕切後も法的措置を取らずに放置することは危険であるといえます。また、企業側についても仕切りをする際は、これまでの損益を説明する機会を設けることが企業法務として望ましいと考えられます。
取引当時66歳であり、まだ要注意高齢者ではありませんし、しかも、過去に相応の株式の取引経験と資産のある会社社長とその経営会社が、電気ガス指数の2倍連動債を購入させられた事例です。
2倍連動債については、ノックイン条件が満たされた事実を社員が告げて多らず、虚偽の接触履歴を作成したこと、元本保証と告げていることから、顧客が元本保証の商品と誤信して購入したものとして説明義務違反を認めた。また、ノックイン条件及びこの条件が満たされた場合のリスクは、経済的にみると本件仕組債の最も重要な商品特性かつリスクであるとされました。
この点について錯誤は、要素の錯誤にあたるので、錯誤無効を認めています。
営業マンには、商品について最も重要な商品特性を理解させるとともに、元本保証など事実に反して勧誘する指導が必要になると考えられます。
花に逢えば花を味わい、月を見たら月を味わう。
後には思いを残さず、出会う事象をそのままに受け流すという意味です。
本日は労働審判で岐阜地方裁判所に出張してきましたが、裁判所はとても綺麗になっていました。
裁判所はどこの裁判所も立派になっていきますね。
労働審判は無事、一回での解決をみることができましたが、依頼者の気持ちを考えると逢花打花逢月打月の心境となりました。
金の先物取引をしていたAさんは、B社との間で商品先物取引をしていました。
Aさんは、先物取引について十分な経験がなく、資産の夫の遺産でありふたりの子どもがいて、老後は遺産を取り崩して生活されることが予想される。
判決では、Aさんが、取引に習熟するまでの間、初心者に相応しい取引をさせる義務があるとしました(新規委託者保護義務)。
そして、委託者の能力、適正、勧誘状況、取引経過等を総合的に判断されるものとしました。
そして、制度の趣旨を踏まえると、自らが定めた6000万円という制限を超えてとりっひきを勧め又は注文を受けたとしている点、売りを希望したのに取引を継続させるために翻意させ損害を与えたことについて、新規委託者保護義務違反の違法があるとして、不法行為の成立が認められています。なお過失相殺は6割とされています。東京高裁平成26年7月17日。
取引当時高齢で視力に障害のあった女性とその子どもが、日経平均株価指数2倍連動債取引を行い損害を被ったと主張しました。
女性については、安全性重視、保有している金融資産の量、からハイリスク商品を負う投資傾向をするとは考えられない。
また、仕組債の取引経験がなく、投資額が原資のすべてでハイリスクであることから適合性原則を認めたものです。
さらに、業者は各債権の特徴及びリスク、特にノックイン条件が成就した場合の満期償還額の決定方法、元本が毀損しゼロになるリスクを参考事例に基づき価格・下落率を例示したり、図示する等して、説明するべき義務があったが、上記のごとき事例に基づき価格・下落率を例示した具体的説明をした後はないとして、説明義務違反を認めています。なお、買付約定書の記載は、形式的文書にすぎず、説明義務違反の判断を妨げるものではない、となされています。横浜地裁平成26年8月26日
AQUATIMEZのニューアルバムがダウンロードできるようになっていました。
このバンドも10年以上のキャリアがあるので、初期のころと比べると私の考え方と彼の考え方とのシンクロナイズドは少なくなってきたかなと思い、意識しては楽曲を聴くことはないのですが、久しぶりに「エデン」を聴いて、考え方は違えどおすすめできるアルバムなのでぜひ聴いてみてください。
エデンを聴いたときは、ふたりがいれば、背を向けあえば互いは翼になる、けれどもう僕らには飛び立つ場所などないと歌っています。
実は、二人が背を向ければ翼になり、もう魔法などなくても笑顔にできる。
愛する二人がいればそれは十分で「長い旅は終わった」と歌い、「空というものは羽ばたくものではなく、見上げるものだと」というストーリーです。
ふたりがいればそれはゴールで、それ以上は必要はない、背を向けあえば翼になり空を舞うこともできればよいけど、僕らは目的地にいるのだから飛び立つ必要はない、だから背を向けず抱きしめていよう、というものでした。それだけ素敵なふたりが出会い、羽ばたかなくても歩いていけばいい、という心境にまで彼はなったのだな、と感じました。ロマンチックな恋を思わせるとともに、前に進んでいくという情熱のようなものはなくなった悟りの境地の歌、と考えていました。
エルフの涙というアルバムは、インタビューでは前向きな歌が多いと彼は語っていましたが、たしかに強いメッセージ性の強いものはなく、聞き流すことのできる「音楽」になっている印象を受けます。
全体的には、アドラーの影響を受けているのかな、と感じられるものでした。
アクアタイムズはこれ以上、どのようなメッセージを出すのだろうと考えていました。悟りの境地の達しているような感じがしたので、さらにどんなメッセージを出すのだろう、と思っていました。
アドラーの論旨は、精神と身体、感情と理性、意識と無意識といった二元論に否定的であり、全体としてその行為は選択されたもので、その選択には責任がある、というように考えます。法律家としては、主観と客観を分けるのは当たり前のことですが、臨床心理の観点からも分析的ではないかなという感想です。そして原因は過去にあるのではなく、未来にある目的を変えていくということには勇気がいる、ということです。アドラーはライフスタイルはすべて自分で選んだと考えるのが基本です。しかし、最初に決めたライフスタイルは決め直すことができる、ライフスタイルというのは、人生や世界、あるいは自分をどう見るのか、ということを意味するものと解されます。私は、「すみなすものは心なりけり」、すべては心の持ちようということもあります。しかし、アドラーの論旨は、少しエキセントリックで本当に幸福でなくては意味がない、と主張するわけです。そして自由に生きることをすすめ摩擦が生じても、嫌われることは自由に生きるために支払わなければならない代償であり、逆に、誰かに自分を嫌っているとすれば、それは自分が自由に生きているということの証といえる、というものです。ややもすれば独善的になりかねないのですが、論旨もそういっているのではなく、自分への関心を他社への関心に向ける、というのですが、どうも心理的な心の流れと一致しないようで、個人的にはストンと落ちないところがあるところです(もちろん臨床の参考にしていますが)。
臨床心理の現場にいる私からすると、あまり実践的な感じはしないのですが自己肯定感を上げていく一つの参考にしていました。最近の流行になっていることは、いくつかの雑誌で取り上げらたり、嫌われる勇気がベストセラーになったということで知っていました。
「滲み続ける絵画」。アルバムを聴いて幼児への回帰を歌おうとしているのかなというインテンションを感じつつ、この歌は今、「嫌われる勇気」で有名なアドラーの心理学の影響があるのかなと感じました。
彼は、「独りが怖いと思ってたけど、怖いからひとりきりでいたのかもしれないね。愛とか勇気とかそういう言葉をずっと見殺しにして」と歌います。
アドラーの言葉を思い出します。「私は、自分に価値があると思えるときにだけ、勇気を持てる」。自分に価値があると思えない場合は勇気を持てず人の輪を避けようとします。
人の輪に入らないでおこうという決心を翻さない限り、今の自分を肯定的にみることはできません。現実のありのままの自分を見せるという決心をするということですから勇気がいるというのは本当のことです。そういう意味で、彼の初期の等身大のラブソングなどは飾らない粗野なラブソングを情熱的に歌う、人の評価は気にしないということで、アドラーの考え方に通じるものがあったのですね。
だから対人関係を構築しようという働きかけだけにとどまらず、自分に価値があると思える働きかけをもって勇気を持つことができる、と心理的考察を加えます。
「僕の憂鬱をかき消すあの朝焼け」、朝焼けは希望や勇気の象徴と考えているのではないかと考えられます。
心理的には、人の目を気にするのを止めて、等身大の自分こそが自分なのだ、ということが分かれば等身大の自分は到達点ではなく、自分に価値があると思える出発点になると思います。
ゴールドメダルでは彼は「いつか自分を好きになれるように生きてゆこう、そして、君よりも君らしく生きられる人はいない。それのことにおいてまず君はゴールドメダリストなんだよ」と綴ります。
エルフの涙という作品は全体として、そういうアドラーの価値観を分かりやすくメッセージとしてあるのかな、と感じます。手紙返信という楽曲などは、アドラーの論旨を心情にして歌っている気がします。