お役立ちコラム
最高裁平成28年1月31日は、グーグルに対して、自己の逮捕歴に関する記事の検索結果を削除する求めた裁判の決定で、「プライバシーの保護が情報を公表する価値より明らかに優越する場合に限って削除できる」との規範を示しました。しかし,過去の前科公表事件の最高裁判決との整合性がとれておらず、前科は国民が最も知られたくない代表的なプライバシーであることに照らすと、それを上回る「明らかに優越する公共的価値」というのはいったい何なのでしょうか。
最近、食べログなので、「おいしくなかった」「店員の対応が横柄」「仕事が遅い」と一方的観点からの名誉棄損的表現が目立つ中で、かかる名誉棄損的表現を爆発的に流通させるグーグルの流通過程に載せることに、これほど厳しい基準を載せるのは、「忘れられる権利」という一方もあるものの、他方で、グーグルに対する事業活動上の名誉毀損についてもハードルが上がらないか懸念が高まります。
これは,事前抑制禁止の法理などと比べても実質的に厳しい基準で、どうしてネット検索がここまで公共的に保護に位置付けられるのか全く疑問といわざるを得ません。欧州連合が明文化している忘れられる権利にも触れていませんし、ネットには否定的情報の方が蓄積されやすいという特性など,最高裁決定は審理不尽であり、国民的討議を深めていく時期ではなく、むしろ最高裁が少数派や健全な商道徳を守れないのであれば立法でグーグルの検索機能を規制する立法をなすべきであると考えます。最近グーグルのポリシーをみましたが違法であっても、リベンジポルノ、特定宗教の押し付けなど、事業活動をしていくうえでほとんど役に立たないポリシーばかりです。「保育園落ちた、死ね」というように個人の発信力が高まる一方で、少数零細企業の場合、コメントの承認性がない場合、グーグルのコメント欄の罵詈雑言が残り続けることになりかねません。しかし、新聞でも濃縮版には配慮しているのに、それに配慮しなかったグーグルの常識なるものを既存メディアはもっと攻撃すべきではないかと思います。
しかし、刑事では、リンクを貼るだけで幇助になったり共犯になったりするのに、全く平仄がとれていないご都合主義としかいえず、しかも過去の犯罪報道に高い公共的価値は見出すことは認めず、かかる判例は射程距離を短くとったり、あてはめで工夫する必要が出てきそうです。
1 記録によれば,本件の経緯は次のとおりである。 (1) 抗告人は,児童買春をしたとの被疑事実に基づき,平成26年法律第79号による改正前の児童買春,児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関 する法律違反の容疑で平成23年11月に逮捕され,同年12月に同法違反の罪により罰金刑に処せられた。抗告人が上記容疑で逮捕された事実(以下「本件事実」 という。)は逮捕当日に報道され,その内容の全部又は一部がインターネット上のウェブサイトの電子掲示板に多数回書き込まれた。 (2) 相手方は,利用者の求めに応じてインターネット上のウェブサイトを検索し,ウェブサイトを識別するための符号であるURLを検索結果として当該利用者 に提供することを業として行う者(以下「検索事業者」という。)である。 相手方から上記のとおり検索結果の提供を受ける利用者が,抗告人の居住する県の名称及び抗告人の氏名を条件として検索すると,当該利用者に対し,原々決定の 引用する仮処分決定別紙検索結果一覧記載のウェブサイトにつき,URL並びに当該ウェブサイトの表題及び抜粋(以下「URL等情報」と総称する。)が提供され るが,この中には,本件事実等が書き込まれたウェブサイトのURL等情報(以下「本件検索結果」という。)が含まれる。 2 本件は,抗告人が,相手方に対し,人格権ないし人格的利益に基づき,本件検索結果の削除を求める仮処分命令の申立てをした事案である。 3(1) 個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益は,法的保護の対象となるというべきである(最高裁昭和52年(オ)第323号同56年 4月14日第三小法廷判決・民集35巻3号620頁,最高裁平成元年(オ)第1649号同6年2月8日第三小法廷判決・民集48巻2号149頁,最高裁平成1 3年(オ)第851号,同年(受)第837号同14年9月24日第三小法廷判決・裁判集民事207号243頁,最高裁平成12年(受)第1335号同15年3 月14日第二小法廷判決・民集57巻3号229頁,最高裁平成14年(受)第1656号同15年9月12日第二小法廷判決・民集57巻8号973頁参照)。他方,検索事業者は,インターネット上のウェブサイトに掲載されている情報を網羅的に収集してその複製を保存し,同複製を基にした索引を作成するなどして情報を 整理し,利用者から示された一定の条件に対応する情報を同索引に基づいて検索結果として提供するものであるが,この情報の収集,整理及び提供はプログラムによ り自動的に行われるものの,同プログラムは検索結果の提供に関する検索事業者の方針に沿った結果を得ることができるように作成されたものであるから,検索結果 の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有する。また,検索事業者による検索結果の提供は,公衆が,インターネット上に情報を発信したり,インター ネット上の膨大な量の情報の中から必要なものを入手したりすることを支援するものであり,現代社会においてインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割 を果たしている。そして,検索事業者による特定の検索結果の提供行為が違法とされ,その削除を余儀なくされるということは,上記方針に沿った一貫性を有する表 現行為の制約であることはもとより,検索結果の提供を通じて果たされている上記役割に対する制約でもあるといえる。 以上のような検索事業者による検索結果の提供行為の性質等を踏まえると,検索事業者が,ある者に関する条件による検索の求めに応じ,その者のプライバシーに 属する事実を含む記事等が掲載されたウェブサイトのURL等情報を検索結果の一部として提供する行為が違法となるか否かは,当該事実の性質及び内容,当該UR L等情報が提供されることによってその者のプライバシーに属する事実が伝達される範囲とその者が被る具体的被害の程度,その者の社会的地位や影響力,上記記事 等の目的や意義,上記記事等が掲載された時の社会的状況とその後の変化,上記記事等において当該事実を記載する必要性など,当該事実を公表されない法的利益と 当該URL等情報を検索結果として提供する理由に関する諸事情を比較衡量して判断すべきもので,その結果,当該事実を公表されない法的利益が優越することが明 らかな場合には,検索事業者に対し,当該URL等情報を検索結果から削除することを求めることができるものと解するのが相当である。 (2) これを本件についてみると,抗告人は,本件検索結果に含まれるURLで識別されるウェブサイトに本件事実の全部又は一部を含む記事等が掲載されているとして本件検索結果の削除を求めているところ,児童買春をしたとの被疑事実に基づき逮捕されたという本件事実は,他人にみだりに知られたくない抗告人のプライバシーに属する事実であるものではあるが,児童買春が児童に対する性的搾取及び性的虐待と位置付けられており,社会的に強い非難の対象とされ,罰則をもって禁 止されていることに照らし,今なお公共の利害に関する事項であるといえる。また,本件検索結果は抗告人の居住する県の名称及び抗告人の氏名を条件とした場合 の検索結果の一部であることなどからすると,本件事実が伝達される範囲はある程度限られたものであるといえる。 以上の諸事情に照らすと,抗告人が妻子と共に生活し,前記1(1)の罰金刑に処せられた後は一定期間犯罪を犯すことなく民間企業で稼働していることがうかがわ れることなどの事情を考慮しても,本件事実を公表されない法的利益が優越することが明らかであるとはいえない。 4 抗告人の申立てを却下した原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。 (裁判長裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦 裁判官 大橋正春 裁判官 木内道祥 裁判官 山崎敏充)
憲法の改正などの提言を行い、安倍首相にも近いといわれる日本会議の沿革や活動を書いた「日本会議の研究」について、東京地裁が出版差し止めを命じる仮処分を出した。関与している男性と宗教との関わりの言及が男性の名誉を傷つけたとの理由のようである。
たしかに新書は広く頒布されるもので一時的にはどの書店にも並ぶものであるから、名誉毀損が形成されるのであれば出版差し止めは当然といえる。しかし、本件の場合、自民党という与党にも一定の影響力を持つ団体であり、その主義主張やその形成過程についてはあまり知られていないところである。つまり、公共の関心事なのであるから内容の真実性について真実と認めるに足る相当の理由があれば出版は許容されるはずである。この点、新書といっても理屈ではその部分を削除すれば仮処分の効力は別書籍とするならば及ばないだろうが、一部分の真実性の相当性を問題にして新書全体の出版差し止めを求めるというのは、国民の知る権利と当該男性との利益調和の観点からも、比較衡量の均衡を失している。すなわち、社会公共は主に団体自体に関心を寄せるであろうから、その当該男性が叙述全体の中の重要性でどれほどのウェイトを占めるのか、当該男性について叙述することが目的とされた書籍であるのか、疑問もないわけではない。
ところで、今般、本件のような口封じを目的とした訴訟が増えているような印象である。そもそも公共の団体を標榜したり政治的イシューの実現を目指す団体であったりするのであれば公正論評を受けるのは当然のことである。これは、例えば、トランプ氏の内幕やヒラリー氏の内幕を書いた新書にすら、支持団体の記載があればその部分が名誉毀損になるというのであれば、判断手法が不相当なのではないか。
しかし、一例を挙げると政治団体の支持母体の行動も十分公共の利害の関心事であるうえ、地裁は「この部分は真実でない可能性が高い」とするが、真実でない可能性というのは一体何なのだろうか。その結果の重大性を考えれば本案と同じ判断枠組みで判断されるべきであって、規範を不当に緩めているのではないか。そして、日本会議は様々な発言手段があるのであるから対抗言論も可能であり名誉も虚偽であれば回復される。判例が指摘する「著しく回復困難な損害」というのは生命・身体の侵害のような不可逆的なものをいうのであって、差し止めの結論は相当ではない。
この点、一部でも不相当な部分があれば思想の自由市場から締め出すことができるというのであれば、揚げ足取り的な口封じ訴訟が増えていくのではないだろうか。もちろん表現する側も重要ではあるが、単なる個人と個人との間の紛争ではない本件では、新書を思想の自由市場から排斥すれば、そもそも自由討論も起こらない。そもそも名誉はプライバシーと異なり事後的な回復が可能であり、しかも表現の自由は、通常の保全と異なり、保全だからこそ事前抑制禁止の法理が働くのであるからその規範を本案より厳しくするのが相当である。少なくとも田中真紀子元外相の親族の問題に関する高裁決定は差止めを覆しており、完全な私人である元外相の親族についてすら差止めは高裁で覆されている。本件は、異議申立てをするのか分からないが、出版社はその部分を削除して再出版をする方針と聴く。しかし、こうした「ことなかれ主義」がジャーナリズムの衰退を招き、トランプ次期大統領がCNNの記者を罵倒した行動に結びついていくのではないか。先例が残れば名誉毀損による出版差し止めは認められやすいことになる。なぜなら、どんな本であろうが全部真実ということはないだろうから、一部証拠による裏付け、つまり真実と認めるに足る相当の理由がないこともあるだろうから、特に公共の利害に合致する団体を論じた文献につきどのように考えるのか。異議審や保全抗告を行うべきように思われるが、かかる態度をはっきりしないところに表現の自由の担い手である報道機関への不安を抱く人も増えるのではないか。
愛知県地方選出の国会議員との勉強会、懇親会に参加してきました。
弁護士の立場や国民の立場からすると、立法活動がどのように行われているのか、新聞以外知る適当な方法もないかな、という印象もありますよね。
もちろん国政報告会などに参加するのも一つだと思います。
もっとも、今回は、弁護士側が用意した論点についての勉強会でした。
内容は様々なものでしたが、やはり福祉的観点からの論点が多かったように思います。
ただ,身近さを売りにしていますと、どうしても論陣を張るというのは難しいというような印象も受けます。
ただ,その議員さんは、ステレオタイプでAだからBみたいなことよりも、自分で思考することの重要性を述べていたように思います。
また、弁護士の中では、正確な意図は分からないのですが、バブルの時代などを知らないからこそ、変革ができるという趣旨の意見もあったように思います。
今後も立法政策についても、学んでいきたいと思います。
あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。 繰り返しご案内もうしあげておりますように、当事務所は旧事務所から歩いて5分程度のところに移転をいたしました。
国際センター駅から徒歩1分、名古屋駅からも10分程度で交通至便なところにございます。
セブンイレブンや品川近視クリニックのおとなりですので、もしご不明でしたら、事務局にお電話いただけますと幸いです。
当面、旧事務所の電話番号、ファックスは維持いたしますが半年後を目途に完全移行する予定です。
今後とも名古屋駅ヒラソル法律事務所をよろしくお願い申し上げます。
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広告最大手の電通とその高橋まつりさんの上司にあたる幹部が、高橋さんに違法な長時間労働をさせたとして、労働基準法違反の疑いで書類送検された。
具体的にいうと、朝日新聞の報道によれば、新入社員の高橋まつりさんが長時間の加重労働が原因で自殺し労災と認定されたことを受けて厚生労働省が捜査してきたものであり、36協定で決めた時間外労働の上限を超えていた疑いである。
端的にいえば、かつて労働事件として「電通事件」という弁護士なら誰でも知っている著名な事件がある。論点は、明晰にいえば損害賠償を斟酌するにあたり業務処理能力やどんくさいなどの性格を考慮して良いかどうかが争われたのだが、その前提事実がすごかった。「午前6時に帰宅し午前7時に出社」することを繰り返し、プロジェクトの終了で帰宅するや自殺したというものであり、涙なしには読めない事実認定となっている。またもや「電通事件パート2」であるし、信義則上の健康配慮義務を考慮しない結果の自業自得と云わざるを得ない。電通は、これまでも是正勧告を受けており「仏の顔も三度まで」ということなのだろう。その点では、今回は、漫然放置した役員らの刑事責任が追及されてもやむを得ないし行うべきである。平成28年12月29日付朝日新聞が「長時間労働の是正」を論じているのは、うなづけないこともない。
しかしながら,会社の経営側からすれば、別に従業員に特別の長時間労働を望んでいるわけではない。成果やなすべきことを納期までになしてくれれば、あまり働き方のスタイルにこだわらない、という企業も少なくないのではないか。労働基準法は、工場労働者を念頭に作られた工場法が母法である。つまり、工場勤務の流れ作業などに従事している人が典型例なのである。他方、ホワイトカラーやある企業では能力として求められるベースラインの水準がある。それを前提に給与を設定しているため残念ながらベースラインに見合ったエンパワーメントを時間内に発揮できない場合には退職してもらう必要も出てくる。これも能力がない若手の青田買いという現象を招く終身雇用制度のひずみなのである。弁護士としてこれ以上の指導はパワハラになるので退職勧奨をするのが妥当ではないか、という意見を出す場合もある。
そのため、単純に労働基準法違反といっても、「企画屋」は裁量労働という側面が強く、時間的量的な法的規制になじみにくい職種ということができる。
朝日新聞は、長時間労働の是正が必要というが、マクロ的にいえば長時間労働がなくなれば少子化が進む今労働力の確保が中小企業では困難になってしまう。
そして、「企画」というように、プロジェクト型の労務は、納期までに完成という社外の相手、つまり取引先あっての事業維持が可能となっている。
ミクロ的にいえば、ある程度の「成果」を出すことが仕事は遊びでない以上求められる。そうすると、長時間労働といっても成果を出すことを求められる仕事の場合、5時定時に感情的な理由から帰れないというわけではなく、仕事が終わっていればお帰りいただいて構わないのである。しかし、労働力というのは混合玉石であり、中には電話の出方のボタンの押し方も知らないビジネススキルが低い人間もいる。
批判的にいわれる、電通、「鬼十則」も不平不満ばかりをいう従業員に新たな気づきを与えるもので、これに感銘を受けた人も少なくないだろう。
能動的に仕事をする社員とするための指針で、会社にきて居眠りや病院にいってしまう労働者を会社は求めていない。事務処理能力は人それぞれであるが平均的労働者であれば、この程度はこの時間で処理するという経験則は存在している。それから外れたり、こどもがいるため早朝からの労働を認めてほしいなどのニーズはあると思う。しかし、受動的な社員、つまり「指示待ち」社員が多いというのも他方では社会の嘆きなのではないだろうか。
特に、カタチのないものを売る仕事は大変である。しかもそれをカタチにして成果を上げて会社の事業存続が成り立っているのである。
しかし、入社1年目の社員に、仕事を丸投げして補助者や監督者もつけていないのであれば、それは加重な心理的負担であって、労務以前に「人間として正しいか」どうかという、心をベースにした問題である。ただ、そういう過酷な課題を乗り越えた創業者や電通社員も多いが入社1年目は誰がマネジメントをしても準備期間だと思う。このマネジメントの違法性は、やはり全体をみるマネージャーが少ないのか、何が問題なのか、繰り返し深刻な問題を起こす電通には、第三者による検討も必要と思われる。ただ、一方で彼女も電通という一流企業で相応の待遇を受けている面もある。
欧米では、新卒の人には仕事はなく若手の失業率は1割に迫るがスキルもコネもないのだから当たり前なのである。そういうステップアップ社会は問題意識があるものの批判の的は電通ではなく海外では政府に向けられている。また、こどもができたので仕事を切り替えて家庭中心の生活を送る人もいる。結局、この問題は雇用の流動性を高めていくという方向性も示唆されるだろう。
そして納期や定時といった病的なまでの取引先の圧力は強まる一方である。長時間労働を批判しておきながら、朝日新聞社は平成28年12月違法な残業をさせたとして労働基準監督署から是正勧告を受けている。朝日新聞社もまた違法残業が常態化しているのであり、朝刊を発行し続ける限りライフワークバランスを犠牲にしている朝日新聞記者はいなくならないだろう。このように期限内に成果を出す、そしてその圧力が強まっている。下請法もあるが有名無実化しているし、最大手の電通ですら長時間残業の背景には「企画屋なんて気に入らなければ博報堂に変えれば良い」とパワーバランス上、顧客の方が強いから要求を強まる。
こうした社会的欲求、ニーズ、風潮、「ただいるだけ」では仕事とはいえない仕事の登場―労働基準法も裁量労働制を採用し認知もしているはずである。これらの理論的視座からも、特に電通のようなプロジェクト型、請負型の仕事の場合、マネジメントが難しく、それを社内のみで必ずしも吸収しきれない場合もあるという点からも考えてほしいものと考えられます。
よく「アイツは社長の器ではない」という話しを聴きます。
昨日の報道ステーションのコメンテーターとアナウンサーのやりとりは、腹に落ちるものでした。
コメンテーター「要するに、彼女は大統領という席に座ってはいけなかったんですよ。大統領の器ではなかったということですね。」
アナウンサー「さみしかったってことですよね」
ということなのでした。
この議論は、実は正鵠を射るものであったと思います。皆、パククネ氏に対する評価は否定的なものが多いと思いますが、
・人気早々から財閥系の娘の占い師に国家資格を漏らしていた
・毎月占い師とすき焼きパーティーをしていた
といったものです。しかし、一番許されないのは、彼女は、財閥についてなんとかするといって庶民派と父が暗殺された恵まれない悲劇のヒロインを演じて当選しただけに、実は財閥系の子女に便宜供与を図っていたなどの事実が発覚し、もはや騙されたと感じる人々が多いことでしょう。
今回の実態は、「おばさん政治」に外なりません。他の意見を寄せ付けず、40年来の付き合いの占い師との不透明な関係を持ち込み、秘書官との接触は拒む一方で占い師とは、毎月すき焼きパーティーをしていたのだ、といいます。
中日新聞社説は密室政治ですが、占い師と占いで決めるのが「政治」なのでしょうか。占い師を人事や政務に介入させたスキャンダルは、執務ではなく井戸端会議の一環と述べても不思議ではないでしょう。政権をまさに私物化したという中で、記者会見でも質問も受け付けず、容疑者として共謀が認定されてもプルトン(不通)の姿勢は国民の怒りを買うのに十分であったと思います。疑惑について説明すべきことも説明せず、捜査も弁護士を立てて拒み続けた結果、仲間のはずの与党からも三行半をつきつけられた。
今後は、憲法裁の審理に移るものの、パククネ氏は大統領職を追われれば逮捕されることは必至であることから、憲法裁徹底的に争うのではないでしょうか。韓国の憲法裁判所の判断枠組みは、大統領と罷免するほどの重大な違法があるか否か」「大統領の権限と地位を濫用し、収賄や公金の横領などの不正腐敗行為」など5つを列挙しています。
しかし、今回は、職権濫用の罪での共謀が認定されて訴追されているものの、財閥系企業の支配からの脱却という夢を抱かせて当選したパククネ氏。形式的な判断よりも言行が全く一致していない詐欺師のような振る舞いであり、国会が認める弾劾の憲法裁量を尊重して早期に罷免判決を出すべきであると考えます。
今回は、父を凶弾で失った悲劇のヒロインの心の隙を占い師が狙ってきたというもののようですが、もはや大統領としての体をなしておらず、憲法裁判所の判断枠組みで判断するか否かの妥当性もあり、国会の手続の公正さのみを考慮し、国会の訴追権の濫用とみられない以上は国会の憲法裁量を憲法裁判所といえども尊重するべきで、判断を自らの立場で審査する判断代置型の審査アプローチは極めて不適切であることは明白であるといえます。
パク氏は来年になれば、ふたりの裁判官が退官し、補充ができないことから、9分の6の賛成が必要から7分の6、つまりほぼ裁判官全員の一致が必要であることから、憲法裁で大統領として職務復帰し、最期まで任期を全うし怒りが静まってから逮捕されたいという希望なのではないでしょうか(なお、逮捕や拘禁は朝鮮日報、中央日報の記事に基づいていますうえ共謀が認定されて、他の被疑者が勾留されている以上、勾留されるのが合理的であろうとの予測に基づいて執筆しております。)
美濃加茂市長の逆転判決は、あまり話題にあがっていないようです。
中には、東芝事件をめぐる検察官の人事異動を見越して供述の信用性だけで有罪にされたのだろう、という見立ての記事もありました。
たしかに、NHKの報道でもあったようにロッキード事件における田中の逮捕は実は別の事柄を隠すためのものに過ぎなかったという特集がありました。
真実というのは、刑事裁判で明らかになるのではなく、刑事裁判は、「構成要件」という社会にしかけてあるトラップに躓いたというようなイメージに近いと思います。
本件でも、市長側は、贈賄側の建設会社について追加捜査はしないという司法取引に応じたと批判し、信用できない、と論じています。たしかに立件されていない様子ですから、一応考慮されるべき事情なのでしょう。あるいは事実上の影響力の行使というのもあるかもしれません。協力しなければ、他の探知している余罪も立件するぞ、ということになると、会社の番頭クラスまで逮捕されてしまうなど、いろいろな事情があるのかもしれません。
次に、本件の高裁の訴訟指揮は重大案件だからこそ刑事訴訟法に忠実に行われるべきで、現実には、市長と贈賄者とのいずれが信用できるかを聴くのですが、高裁は贈賄側のみを「職権」で調べるということをしました。普通は、当事者主義ですから、裁判所はお客さんです。ですから、証明責任があるのは検事であって検事の証明責任がとれない以上は、無罪のフラッグをあげなければならないというのが、疑わしきは罰せずという刑事裁判の鉄則のように思います。とはいうものの、私の当該裁判官に対するイメージは合議で結論を決めてから裁判に臨んでいる、という印象を受けますね(不思議と私の事件は刑事2部に係属しますので。)。とはいうものの、やはり立法政策としては二重の危険を防止するため、検察官控訴を禁止すべきだと思いました。今回は混乱が大きいですが、一審で無罪で二審で有罪だったら、何のための一審なの??と思ってしまいます。裁判長がちょろちょろと贈賄側の虚偽供述の利益が満載の受刑者の言い分を職権で聴いて結論が変わるくらいであれば、刑事の高裁は被告人控訴のみに限定すべきように思います。
本件は、市長という公職者を訴追しているのであるから、被告人質問も再度行うべきであったと思いますし、検察官の証人請求も、通常、刑事二部は認めないでしょう。なぜなら、一審でできないという事情がないからです。ゆえに、「やむを得ない事情」に該当せず、あとは職権の問題ですが職権の行使は通常は被告人に有利に用いるべきであって、不利に職権判断をする刑事裁判という高裁は聴いたことがありません。
そもそも弾劾主義自体否定するかのようで、単に続審制になっているという批判が十分にあたるものです。
とはいうものの、現実にお金を受け取っていたのか否かは本人しか知りません。そして、検察庁が30万円程度の史上最年少市長というある意味「若造」の立件にそれほど熱心な背景というのも、正直よくわかりません。裁判官で弁護士を後見業務で脅迫した裁判官は普通に判事を現在でも名古屋地裁でしていますが、たかが30万円の贈収賄と市制の混乱という利益も比較衡量し、一審は無罪を出しているという点も積極的に判断をすべきだったように思います。まあ、贈収賄ではありますが、別に起訴猶予になってもさほど異例とまではいえないとも思いますし、背景には、「構成要件」では見えないものがあるのでしょう。
ところで、マスコミは見向きもしなかったのですが、出直し市長選に打って出るということになりましたら、各紙が大きくとりあげるようになりましたが、たしかに最高裁の場合、美濃加茂市長、年齢、キャリアなどを総合考量すると、判断を示す時期は早いのではないか、と思います。もっとも、最高裁でも、いわゆる痴漢冤罪で無罪判決を言い渡したこともありますが、今回の名古屋高裁での審理結果を「書面」で見て、どう投影されるかでしょうか。一応はポイントを突いた質問を裁判官はしているのでしょうから、書面上は問題はないとされれば、上告棄却まで1年も要しないかもしれませんね。もちろん大弁護団の巻き返しもあり得ると思いますが、最高裁は純粋論理の世界なので、ヤメ検VS検事の訴訟戦術合戦を離れてどうみるのか、ということなのでしょう。上告審においては、是非、痴漢冤罪と同様、供述証拠のみで有罪にするのですから職権判断を示していただきたいものです。
出直し市長選については、推定無罪の原則がある以上、森田実氏らが批判する「我儘」批判はあたらないでしょう。というのも、彼はここで有罪を受け入れたり、あるいは、市長の職を辞せば、政治的生命はほぼ絶たれる、といっても良いでしょう。そうである以上、批判はあれど、政治的判断としては、民意を問うというのは、一審無罪、二審有罪の市長が市長職を続けて良いのか、ということを有権者に明晰に迫る、という点では、悪くないのでしょうか。ある意味、どこかの国のプルトン大統領よりかは積極性があるように思いますし、選挙は民主主義のコストですね。
第三者的に考えると、「市長なんて誰がやっても一緒」という考え方が根底にあるのではないでしょうか。あるいは若造・青年批判も背後にあるのではないでしょうか。
だから有罪の恐れがある奴など辞めてしまえ、ということなのであろうと思いますが、政治家は政策はもちろん人格、品格その他行動をみられたうえで選ばれるのですから、「税金の無駄」「身体は潔くあるべき」という批判は、やはり市長は誰がやってもそう変わらないという現実を示すものでしょう。もともと美濃加茂市長もそのような中で誕生したわけですが、だんだん市議会との関係も良好になりつつある最中の判決だったと聴きます。
本日、医師の依頼者が、「裁判官はミスしても責任とらなくてよいのですね。ミスしても責任とらなくて良い仕事なんてもう世の中にあるのですかね」と述べられていました。やはり本来的無責任というところで、判決自体に対する分析的検討が少ないのが残念なところですね。弁護団は判決文を公開するべきではないでしょうか。
トランプ氏が大統領候補になることについて、驚きをもってとらえられている。
これは、白人の「声なき声」が投票行動として現実化したからに外ならないといえる。
トランプ氏がみせつけたのは、エスタブリッシュ層とそうでない層との分断であった。
本当のアメリカはアメリカ中部であって、私たちがよく知るニューヨーク、ロサンゼルスではない、という見解も少なくない。
アメリカ中部では、鉄鋼など厳しい職種が多く、若き友人たちが次々と命と落としていったということが、朝日新聞の取材でとりあげられていた。
この「声なき声」を吸い上げる、これはトランプ氏の才能であったのだろう。
政治家は、選挙のときだけ握手をして、選挙が終わったら大口の献金者の言いなりというのがクリントン氏の象徴的イメージをもってとらえられてしまった。
とはいうものの、トランプ氏。移民排外主義など根底では、ヨーロッパの抱える問題とつながっている。
パリの同時多発テロから1年を迎えた。
ブリュッセルは平穏を保っているようだが、果たしてPARISはどうだろうか。
その後、ニース、ドイツでも同じような問題が起きた。
バラクランで演奏していたアーチストが警備を批判したことをもって入場を拒否したそうだが、彼らは最大の悲劇者だ。
寛容な取扱いが求められる。
現地からは小学校付近にいた軍隊は、今はあまりみられなくなっているようです。
バラクランまでの追悼パレード、サンマルタン運河での灯篭流し。
アメリカのトランプは、移民に不満を抱く「声なき声」をとらえた。他方、移民自身が不満を抱きテロが起きる欧州。
今夜、宇宙の片隅で、多くのパリ市民の精神が静謐に保たれますように。そして,弱者の典型である移民いじめのようなことをいつまでもしていても仕方がない。
パリは統合を目指すが、トランプはむしろ分断を助長している点が心配だ。今夜、三日月と流れ星に願いをかけよう。